2011年12月1日木曜日

セミナー@ナイロビ

ブログ書くの久しぶりな気がします。言い訳ですが、ネット環境はよくないので・・・まぁそんな公にしていないブログなので気ままに書きます!
11月16日にナイロビでJICA主催の「生活改善アプローチ」セミナーにいってきました。村落開発普及員ならだれもが知っている戦後の日本をひそかに支えていた生活改善普及員、略して“生改さん”について研究されている日本人の方が話をされるというので行ってきました!本当はナイロビ行くの嫌なんですが・・・バス移動長いし(8~9時間)、他の日本人に会うのが嫌だったり(笑)。セミナーの目的は来日して生活改善アプローチを勉強してきた農業省などのケニア人同士の関係づくりだったんですが、今回はカウンターパート(仕事でのパートナー)も一緒に来ていいということだったので(しかも宿泊費・交通費・日当JICA負担)活動先のグループのチェアパーソンであるAliceが改良かまどをやっているし、省のトップたちとのコネを作ってもらいたく一緒にいきました。

正直行ってよかった!
Aliceの紹介をみんなの前でさせてもらえることになり、(結局はAliceが通訳付きのスワヒリ語で話したけど、これが正解だった。)グループの成り立ちを話してくれ一番今回の内容にあったスピーチだった。お偉いの人たちがアプローチ方法を語るよりこういうフィールドの経験がある人の話を聞くべきだと思う。当初偉い人たちや、他のボランティアも職場の偉い人たちを連れてくるということで、そんな場所にきて自信を失ってしまうんじゃない?とか心配されてたけど、どんなもんよという気持ちに一人なってた私。JICAもAliceたちについてのドキュメンタリーを作るべきだって言ってきて、いい方向に進めばいいなぁと思ってます。グループの商品をスーパーに売ることもできるかもしれない可能性も出てきたので、本当行ってよかった。
Aliceも毎日忙しくしてるから今回いいホテルに泊まれたし(私はもちろんドミトリー・・・)のんびりできて喜んでたのがうれしい。でも私はテレビのチャンネルのかえ方からタクシー・ホテル・バスの手配までまるで娘?マネージャー?のように忙しかった~マネージャー業向いてんじゃないかと思う。

2011年11月15日火曜日

the water's back!

1カ月の断水からやっと解放されました~!!!
でもまたいつ断水になるかわからないので急いであらゆる容器に水をためときました。


きつかった・・・・・・
持っているすべてのバケツを軒下に置き雨を待ち焦がれる毎日・・・たまりゆく洗濯物と食器・・・同じものを3回着る。お風呂は4日に1回。トイレは3日に1回流す。ゴミ屋敷。トイレは息を止めて用をたす。洗濯物は職場にもっていって洗う。大家さんが買ってる水ももらえたんですがこの水が茶色で風呂と食器洗い用に。最初は顔洗うのさえためらってましたが、顔洗うのに同じ水を数回使ったり、最後のほうは足を洗った水で顔洗ってました。他の隊員はどれだけ少ない水を利用するか工夫していくところ、私はどれだけ汚さになれるかを上達させていきました(笑)


水は大事です。水がないと生きる活力(とくに食事作る意欲)がなくなります。水が復活した今、すごく贅沢な気分。でもチョビチョビ使うのがくせになっているようです。これからはトイレを流すのは1日1回に増やし(笑)、キレイなすごしやすい部屋をキープしていこうと思います。

2011年10月25日火曜日

誰を信用すべき?愚痴。

赴任して3カ月弱。今日口の端っこにヘルペスができてるのに気付いた。ストレスが続くとよくできる。活動が進んでないのも悩みの一つ。でも一番悩みなのは人間関係。正直つかれた。

毎日ケニア人男性から「結婚しているのか」「俺と結婚しよう」「君は俺の愛人だ」あいさつ替りに言ってくる人がほとんどだけど、毎日のように電話やショートメールを送ってくるような勘違いしたやつもいる。もちろん無視ですけど。おかげでケニア人男性は苦手になり、極力しゃべらないようになった。

ケニア人男性だけでなく、女性も「なんでケニアで彼氏/旦那作らないのか」とよく言ってくる。「彼氏がいて帰ったら結婚するんで」て言ってもおかまいなし。「ケニアでもう一人作ればいい。ここでは妻2人以上は当たり前よ」「ケニア人は金ないから嫌なんだろう」「黒人とは結婚したくないんだろう」・・・このやりとりに疲れてきた。最初はははーってスルーできてたけど。何度同じことを聞いてくるんだろう。妻2人以上が文化かしらないけど、でも本当は旦那が他に奥さん作るのは嫌だと言う人たち。そりゃそうだろう。自分が嫌なら他の人も嫌だろうなっていう考え方がないのか・・・
そんな中でもすごく親しくて実家に今度旅行に行こうと計画してたクリスティンという女友達がいて、毎日のように会いに行って日が暮れるまで話をしてた。この人だけは信用できるなと思ってた。
この前の日曜、教会の帰りに彼女の家に行ってご飯を食べることに。材料はもちろん私が買って一緒に食べてると、いつものように近所の奥さんたちがやってきて話をしだした。
その日は教会に4時間もいて疲れてたのもあったから小さなことにもイライラしていたのかもしれない。
話をしていて彼女が「赤ちゃん欲しいんでしょ?日本に帰る時この(近所の奥さんの)子を日本に連れていきなよ。大丈夫、大きくなったら両親のことも忘れるから。それとも色が違うから嫌なの?」と言い出した。一瞬、「は?」と思った。ジョークにしてはこのくだりが長く、母親を前にして何こいつ言い出してんのと思ってイライラしだした。その言われている母親は普段から無口な女性で、何も言わないけど勝手なこと言われて嫌な様子。それだけで終わらず、私がルオ語がわからないのをいいことに、ずっとルオ語で質問しだした。それに困っている私をみて笑って楽しんでいる。こんな簡単なのもわからないの?という具合に。すっごいバカにされてさすがにキレて、もう帰るねと言うと「食器かたづけて」。このやろ~!!!!

こんな人だとは・・・またねと言われたけど会うかー!この人とはずっと仲良くしたいと思ってたけど、すごい裏切られた気分。友達の前で東洋人をバカにしているのを見せたかったのか。旅行も家族への食料、彼女分の旅費も私が払うっていう雰囲気だったけど、お金のことはしょうがないかと思ってた。でも最近ちょくちょくお金や物をくれっていうのを表に出してきて、結局金かよ・・・金っていう目でしか見てこない。少しは中身を見てくれって悲しくなる。

2011年10月20日木曜日

27歳になりました


バースデーケーキ

同期からもらったメッセージ入りカンガ。
(家ができたらちゃんと飾るからね)

昨日10月19日は27歳の誕生日!!
ケニア同期からのメッセージの書かれたカンガという布とキッチン道具のプレゼント、同期の数人からバースデーコール、facebookにはたくさんの友達からのメッセージ、ケニア人からお昼のウガリとケーキを頂きました。なんという幸せもん!去年の誕生日と比べるとすごい差・・・(→苦笑)

facebookにも書いたけれど、今年の抱負は「おもしろい人」です。
これってかなり難しいと思う。周りを笑わせられるおもしろい人はもちろんのこと、ひきつけられる話をもったおもしろい人・何かこの人おもしろいなーていう人いますよね。ただボーっと生きているっていうのは極端な例ですが、そういう生き方では絶対なれないような。
私の中の「おもしろい人」はたとえばこんな人。
  • 笑わせてくれる
  • 話がおもしろい
  • 自分の世界観を思っている
  • 夢を語れる
  • 行動力がある
  • 流されない
私はそういうのによく憧れてました。なぜかっていうと・・・今でこそ蓮舫のまねとか大勢の前でやってますけど、昔は本当に根暗めがねで、一人でいるのが好きで、面白くもないのに愛想笑いをして、精神年齢3歳見た目30歳とか小学生の時に言われてたり、よく「いたの!?」と驚かれたり、教室の隅っこのくぼみのとこが好きでよくそこに立ってたり・・・っていうおもしろいとは真逆で・・・でも今考えるとけっこうある意味おもしろい!?(笑)人って変われるもんだ。

2011年10月13日木曜日

Agriculture show

先週の木・金・土の3日間、ミゴリで農業祭なるものがあり、配属先も牛や農作物の展示をしました。
でもちょうど土曜にナイロビでのカリブパーティー(karibu=welcome)があり、うちらの隊次が幹事なので金曜の朝には出発しないといけないため、木曜だけの参加。その週はとても忙しく朝から晩まで仕事。といってもペンキ塗ったり、ブース作ったり。配属先以外にも大豆の店をしてる女性グループもブースを出すということで、朝からずっと大豆ケーキやらお菓子作ったり、fireless cooker(火を使わずに保温できるバスケット)つくったり。当日は何するかよく話し合えておらず、大豆の紹介もするということで使えるかわからんけど一応大豆の紹介と育て方を模造紙にまとめた。


前日の夜に作成のためこの低クオリティー。栄養表はネットからそのまんま


当日。本部のキスムからスタッフも大勢きてブース組立から始まった。なんか手書きのものは貼らないとのことで作った模造紙はなかったことに・・・でも大豆会社のKが「せっかくのできなんだから貼ればいいが」と言ってくれ、無事お蔵入りは免れました。そんで流れでお客さん相手に大豆の説明をするよう言われ、つたない英語でがんばりました。最初は緊張してどう説明すればいいのかわからず、客くるなと願いつつもKの説明を勉強して自分でも説明。でも難しいこと聞かれてもちゃんと答えられんかった・・・。もっと勉強します。

つたない英語で説明中

2011年9月28日水曜日

突撃!村訪問

今日の帰り道おじさんに「Are you British?」と声をかけられた。
イギリス人は初めてのパターン。てか、目大丈夫・・・?

住んでると色んな風に声をかけられます。
第一位:Chinese
第二位:ching chong chang(ケニア人には中国人がチンチョンチャンとしゃべっているように聞こえるから)
第三位:Japanese,Korean
少数:Filipino
レア:European、British
たまにChina!って言ってくる人がいますけど、もはや国名!そんな時は完全無視。
やっぱり日本人って言われるとうれしい。近くに住む子供たちは私を見ると「ジャパニーズ!ジャパニーズ!」とずーっと言ってきます。かわいい・・・


さて、今日と昨日は連続で配属先にいってきました。昨日は大豆を植えていて手に豆ができてしまいました。実家が農家なためクワを使うのは慣れているのでケニア人のおばちゃんから「Unajua kazi(仕事知ってるね)」とほめられちゃったりして。やってるときは腰が痛いんだけど集中できる仕事があるって最高^^
今日も手伝いに行こうと思ってまずオフィスに行ったら、ペンキがいっぱい。どうやらやっと私の家の改装が始まるみたいで、今のタウン生活に満足している私にとって(え、本当・・・)っていう残念な表情が隠し切れなかった。正直タウンに住みたい。だって配属先の周りは店が一つもない、電気もない、人もそんなにいない、水は井戸ポンプまで汲みに行かないといけない。それを覚悟して来たけど、タウンの生活に慣れてしまった今は・・・友達もできたし。

左半分が私の家になる予定。
現在は窓が割れ、天井に穴があき、どこよりもコウモリのフンくさい

オフィス。本当になにもないんです。
午後はここで一人ごはん食べたり何かしてます。
ここもコウモリのフンくさい

タウンのほうが仕事があるのでもしかしたら申請できるかも?っていう段階だったので、残念な気持ちのまま畑に行きました。で、近道しようと思ったらまさかの迷子。ここほんま広すぎ!気持ちのいい天気だったのでこのまま日向ぼっこでもしようかと思ったけど、いやいやダメだろうと思い、歩く。そしたら向こうのほうに家がぽつぽつ見えた。わらと土でできた伝統的な家。子供が何人か小さく見える。楽しそう!と思い行ってみました。




そしたらおばあちゃんが枝でかごを編んでいて、器用なことするな~と感心。完成版をみたら枝で全体を編んで周りに牛のフンで固めていた。子供たちはみんな恥ずかしがって遠くから私を見るのみ。英語ができる人がいたので村の調査をしてみた。子供は下痢とかしてない?楽しいと思うときってどんなとき?水のこと、お金はどうやって手に入れているのかなど。

別れた後、近くに学校があるというので行ってみることに。200mって聞いたのに全然ちがった。途中道がわからなくなったので人に聞くと連れて行ってくれることに。1㎞くらいのとこにあり、生徒数500人のまぁまぁ大きな学校。小さい生徒はporridgeという穀類の粉と水を混ぜたおかゆみたいなのを飲んでいた。私も飲ませてもらうと、味のないおかゆ。でもいける。先生たちに挨拶してると一人の先生が「今授業で日本の漁業についてやってるから授業をしてくれないか」というまさかの無茶ぶり。でも楽しそうなので「いいよー」と30分ほどしました。日本にはどんな魚がいて釣り方はどうだっていう説明をした後、先生や生徒から「漁業は日本の社会にどういう影響があるの」というざっくりした質問から「日本は戦後どうやって独立したの」という難しい質問までいろいろあり、ほぼ自分の個人的な意見で答えた。ただ最低だったのが日本の人口を聞かれ3億人とウソを言ってしまいました。すいません(笑)勉強します。


全校生徒にさよならをし、帰っているとおばちゃんに家寄っていきなよーって言われ、チャイと蒸したさつまいも頂き今日はお昼ご飯もってきてなかったのでラッキー!お腹がすいたらお昼時にそこらへん歩いてたらごはんもらえるので田舎のいいところ。今日は朝のショックから一人勝手な行動をしてしまったけど、ここで住むのも村落らしくていいかもなぁと少し思えるようになった。

2011年9月26日月曜日

家の掃除

今日は日曜日。昨日おねえさんのキャサリンに教会にいこうと誘われてたので朝9時からいってきました。
昨日遅くまでフライドポテト売ってたから家のことできなかったみたいで、行ったら洗い物したり掃除したりしてて。売り上げいくらかきいてみたら「昨日はよかったわよー!100シルの利益よ!」・・・100シルか~日本円で90円弱くらいかな?マイナスの時もあるというから、きびしい。でも自分たちはこんだけ貧しいんだって延々に語って働く努力もしないケニア人よりはましだと思うけど。で結局10時に教会へ。実際10時からだったらしく・・・じゃあ何で1時間早く呼んだん!?ってツッコミはしなかったけど。

キャサリンは教会で先生をしてて12時まで子供たちのお祈りをきいたり歌をきいたり。ここの子供たちはおせじにも歌うのが上手とは言えず(笑)、周りに合わせようじゃなく、みんなせいいっぱいの音量で歌ってた。元気があってよろしい。
私の自己紹介の時間もあって簡単なスワヒリ語で自己紹介と子供たち一人ひとりの紹介、で最後に日本の歌を聴きたいってことで『上を向いて歩こう』を歌い、2回目は一緒に歌いました♪次から日本の歌を教えることになり、先生になった気分(笑)大人たちの前で発表会ができたらおもしろいなぁ~

終わった後大人たちに混ざりどれだけ神が偉大かという話をきいてたんだけど長くなりそうだったので帰ることに。帰ってるとあちこち教会があって場所によって全然ちがうんだなぁと思った。なんかケンカしてるのか叫んでる声が聞こえてなんだ?なんだ?と思ったら、みんな泣きながらうずくまって叫んでて、近くにいた人に聞くと教会ということらしかった。神様へのお祈りだそう。とても情熱的すぎて、ちょっとひいてしまった・・・

家に帰ってご飯を食べさせてもらって今日はとことん掃除したろーと思い3時間の掃除。
まず洗濯。(手洗いなのでこれがけっこう大変)そして部屋の掃き掃除&モップがけ。(家狭いから楽!)キッチンのかたづけ。(ずっとどぶ臭かった)これで気持ちのいい家になった~!ここで私の家紹介!今のとこ11月までの一時的な家だけど・・・


部屋。広くはないけど十分。家具付きでした~
ここで勉強したりごはんたべたり寝たり


隣の部屋は大家さんのランニングマシーンがあります。暇なときは私も使ったり



キッチン。右下の青いのがガスコンロ。これで料理してます



手前の大きいのが大家さん(前市長)一家の家。奥に見えるのが私の家。
たまにいなくなるけどアスカリ(警備員)もいます。安全!

ひさしぶりに実家に電話しておばあちゃんと話したんだけど、毎回電話するたびに「元気にしようるんか~」って泣きそうにしゃべるおばあちゃん。私まで移ってしまって電話切った後は・・・(;_;)日本に帰るまで元気でいてなぁ!

2011年9月24日土曜日

元気が一番

あれからずーっと体調が悪かったけど昨日から完全復活!
ほんとう体調悪いとろくな事ありません。
たとえば・・・
①仕事行くのがだるい
②食欲がない、料理もしたくない
③部屋が汚くなる
④人としゃべるのもいや
⑤ケニア人を嫌いになる
⑥みんな敵

個人差はありますよ?(笑)

ケニア人嫌いになったらこの先終わりです。(今は好きです)

なぜか毎日イライラがとまらないわ、ストレスが溜まる一方で。元気がないとミゴリではやっていけません!!お酒飲んだろかーって思ったけど今イスラム教の人たちと住んでるため気を使うし、酒に逃げてもなぁ~と。でも元気になった途端そんなストレスどこえやら。昨日の帰りは歌いながら帰ったし。そして久しぶりに食欲が戻り、オムライス作って、お腹いっぱいだったけど大家さんの作った料理も食べて~って一日晩ご飯2食食べてしまった。


今日はこの間道歩いてて知り合ったおばちゃん(と思ってたら今日22歳だと知った)の家に行きました。会ったばかりの人の家に行くのはちょっと気が引けるんですが、暇だし。おしゃべりしたり、おねえさんが路上で売ってるフライドポテト用のジャガイモの皮むきを手伝ったり、偶然来た近所のお兄さんと長々話したり。(最近気づいたけどおしゃべりな男は苦手です。残念ながら周りに多い)
お昼も出してもらったんだけど料理作るのみてたら、水めっちゃ濁ってるやつ使ってるではありませんか~~!お腹治ったばっかなのにまた痛くなったらどうしようという恐怖もありながら、でも一回なったから免疫ついただろうと思い食べました。さてどうなることやら私のお腹。でも私のために用意してくれてたみたいなので感謝です♪


左:にぼしとトマトを炒めて塩で味付けしたもの
真ん中:ウガリ(ケニアの主食)
右上:キャベツのなにか
右:魚とトマトの煮込み

2011年9月18日日曜日

病気、裏切り、人生うまいこといきませんね

金曜の夜から調子が悪い・・・
金曜の夜はいつもと変わらない食事をし、次の日のために早く寝ようと床についた。土曜はずっと楽しみにしていた、ボランティア総勢16人でナショナルパークに行く予定だった。

深夜1時くらい、突然のお腹の痛みで目が覚めた。
同時に悪寒。
いつもは半そでで寝るくらいなのにジャケットを着てもガタガタ震えは止まらず、爪は紫になるし。下痢の痛みじゃなくきりきりとした痛みで息をするのも苦しい。寝ようにも寝れないし、大家さん起こすのも気が引けるしで日本にいる彼氏に電話しました。ただ心配させるだけとわかっていても、もしなんかあった時にこれが原因だったのかって知ってもらえるかなと思って。
アフリカにいるってことで、原因も色々あるし症状がどう悪化するかもわからないので、一応誰かに知らせておかないとと思い(・_・;)病院いこうにも銀行にカード止められてて(不正が見つかったとかで。もちろん私ではありません笑)、来月ナイロビに上がるときに再発行しないと今お金がない~(><)こっちの病院信用できんし。


でもいつの間にか寝てて朝起きたら熱っぽかったので測ってみると38.2℃。こんな熱出したの10年ぶりくらいだったので「おー」と少し感動しつつ(笑)朝、旅行に一緒に行く予定だった同期から電話があったので「今日は無理だ~」と伝えた。午後体調良くなったら、みんな今晩ミゴリ泊でこっちに来ることになっていたので行こうと思ってた。というか行かなければならない理由があった。今回の旅行の計画中に「夕方5時くらいにミゴリ着いたら何しましょう?」というメールが入ってたので、おなじみの学校の生徒たちのダンスと歌を見てもらうのはどうだろうか?ついでにお菓子やジュースを飲みながら、学校のイスと机のために寄付を募れないかと思い、それを他のボランティアにメールし、主催してた先輩にも電話でこんなのやりたいんですけどと言って「何でもいいので~」という返事。そしてグループに聞くとぜひやろうということになった。よしこうなったら頑張ろうと思い、深夜までかかって募金箱と首飾りを途中まで作り、残りは翌日打ち合わせに行ったときにおばちゃんたちに手伝てもらった。メンバーはみんな「明日楽しみにしてるわー」とエキサイトしてた。

ところが。

4時くらいになってもうミゴリに向かってるかなと思い電話してみると、「これからお昼ご飯でミゴリにつくの夜になってしまうわーごめん」・・・・・・え!!!!朝も子供たちが待ってて料理も作ってくれてるから5時にお願いしますって伝えたのにな・・・うまく伝わってなかったのか、まぁ大人数だから時間の調整難しいんだろうなと思うことにして、「大丈夫です、断りの電話入れときますから」と言ったものの、断るの簡単じゃなかった(-_-;)メンバー激怒、言ってたのより今日追加して大量に料理作っててくれてたらしく代金どうすんの?メンバーみんな集まってるんだけど?
大雨も降ってきて電波悪いわ、謝りにも行けないわ、体調悪いわで散々でした。
一番申し訳なかったのはメンバーと子供たちを裏切ってしまったこと。病気で精神的にまいってたのもあり、すごく落ち込んだ。なんか一人で空回りして迷惑かけて昨日まで良かった関係が一日で崩れるなんて・・・。人生うまいこといかんなーって思いました。日本で営業やってたときもミスして関係を崩してしまったことがあった。でも謝りに行ってなんとか関係は戻ったけど。いつまでも人間人を恨み続けてたら疲れるし嫌な人間になってしまうので、ずっと続くことはないと思う!たぶん。明日は食事代に気持ち上乗せして謝りに行きます。

やっぱり元気でいることが一番。今回病気にならなければ全部うまくいってたかもしれない。うまくいかなくてもこんなに落ち込むこともなかったかもしれない。今は熱が下がり、お腹の痛みは消えたけど食欲がない。昨日は食べれずでとりあえずはポカリなど水分をたくさん摂ってます。今日朝ごはん食べれて、いける!?と思ったけど気持ち悪くなり・・・大好きで毎日食べてたクッキーも今は見たくない。健康第一!まちがいない。

2011年9月17日土曜日

meeting

今週は2つのミーティングに参加しました。
活動のことばかり書いて申し訳ない・・・(^^;)

1つ目はまだ名もないグループとのミーティング。
以前かいたUPESHI GROUPの店でお客さんとして来ていてたまたま出会ったJosephという人が作ろうとしているグループ。Josephとその他4人はhealth care workerといって、地元住民の健康を調査したり管理したりする人がいるんですが、それになるための講習をうけていて、他にもいろんなセミナーに参加し、保健教育、マラリア対策、水衛生管理、ハーブなどを使った病気治療法と薬の作り方、治療マッサージ等々をやってきたそう。今回、メインで治療薬の処方とマッサージ、カウンセラー、患者さんが休める施設をつくりたいらしい。知識はもっているものの、何からどうやって始めたらいいかわからないと相談されました。

立派な建物。手前と奥。鍵閉めてるのがJoseph

かといって私がわかるわけではありません。まったくもっての専門外(笑)
でもすでに土地を買って建物の改装も進んでて住民のためにがんばりたいっていう人たちに「あーそうですか、がんばって」なんてできません。なんか方法あるはず。保健省かはたまたJICAに誰か知ってる人や助けてくれる人がいないだろうかって甘い考えです。とりあえず彼らに提案書的なもの(何を目的にやるのか、何ができる・何をしたいのか、今ある問題は何か)を書いてもらうようにお願い。提案書をパワポで清書してJosephを連れて省庁やらなんやらに相談して回ってみよう。
今後は月1で彼らとのミーティングをしていきます。名付けてTanaka Meeting。肩の荷が重いなぁ(笑)


もう一つはUPESHI GROUPとのミーティング。毎週木曜にやっていて、今回初参加。
お店に行くと、すごい。大豆料理がたくさん!

ぜいたくな大豆ざんまい☆

いちおし・大豆ケーキ

大豆ケーキ(めっちゃうまい!しっとりして甘さ控えめ)、soya meat大豆肉?(スーパーで買うより鶏肉っぽかった)、大豆チャパティ(ほろ甘い)、大豆のお菓子(大豆と小麦粉を混ぜてグラインダーでひき肉のようにひいて油で揚げたもの・chin chinと呼ばれるちっちゃいドーナツみたいなやつ)
あと、アボカドジュース、パイナップルジュース、サツマイモジュース、サツマイモチップスも。

全部いただきました!すべておいしい!
ケニアでこんなにも大豆料理が食べられるなんて想像もしてなかった・・・本当びっくり。
小さい写真を貼れるアルバムにメニューや写真を貼ったりどんな栄養があるのか書いたりして、カフェにあるようなおしゃれなメニューを作ってあげようと思ってます。そういうのするの好きだから。

そのあと学校でミーティングをし、自己紹介やグループの持っている問題点など話し合い。
結局のところ必要なのはお金という結果でした。グループの人たちは頑張り屋さんだし、やる気もあるし、料理もあんな上手にできる。ただ商売するのにお金がかかり、材料費を買えば売り上げが出てもすぐ消えてしまう・・・その繰り返し。
でもどっかに減らせる支出やムダがあるはず。あきらめずにこのグループを応援していこうと思う。

そしてそのあとは、お決まり?の歌とダンス。今回は学校の子供たちがすばらしい歌とダンスを披露してくれました。
披露した後は、ちゃんと素直に並んで手を洗ってお菓子をもらっていました♪

ちゃんと前の人の肩もってならんでいます

どんだけへこんでても体調悪くても、グループや子供たちに会うとすぐ元気になれる。この学校の子供たちは本当に素直でまっすぐ。すてきな大人たちに囲まれてるからかな~

お店に貼ってある言葉。今の私にとってじ~んときた。
すごいことをやろうとするんじゃなく、小さなことをひとつひとつ。

活動について考えること

今週の火曜日先輩の活動見学をしに行かせてもらった。
  
先輩は同じ村落開発普及員、住民の健康促進が主な要請。改良かまど、手作りの手洗い装置、水パイプをつなげるプロジェクト・・・本当に色々な活動をされていて、すごい勉強になった。その日たまたま水プロジェクトのメンバーからさよならパーティーがあるとのことで私も気後れしながら一緒に行かせてもらったんだけど、ある視察の時の様子をずーっとビデオにとってDVDにして上映会をしてて彼らの先輩に対する感謝の気持ちがすごく伝わってきた。


改良かまど




















手洗い装置





















2年後、こんなお別れ会をしてもらいたいわけじゃないけれど、
私が帰った後も何かしら足跡を残せる2年間にしたい。


最近、色んな国にいる同期がめっちゃがんばってる活動の様子をきくと
何やってるんだろうって焦ったりへこんだりする。
でもそれ以上にみんながんばってるから自分もがんばろうって思う。
みんなの存在に感謝!!

  




2011年9月15日木曜日

「勉強させてください」

先週の水曜のこと。
以前書いたようにタウンには大豆専門の小さな会社Kのオフィスがあります。
配属先がなかなかそこに行くことにOKを出してくれないと以前書きましたが、理由がわかりました。
・その会社は家族で経営(夫婦・息子)で結構農家から金をむしりとっている(と言ってるが真相は不明)
・配属先の土地を借りて農家に配る大豆を作っているが、世話をしているのは配属先。収穫できたら持っていくだけ。前にその会社が新聞に掲載されたが、配属先で撮ったと思われる大豆の写真がのっていたのに、配属先の名前や紹介等なく、自分たちの手柄のようにしゃべっていたから信じられない
・・・という理由で、いいイメージを持っていない様子。

でも大豆プロジェクトは連携してやっているし、Kのやってることにはもちろん興味があるそう。「Kについて、大豆について、勉強させてください」と再度お願いしたらたまたまその日Kから息子がきててお願いをし、ちょうど木・金と農家を訪問するということで同行させてもらえることに。


木曜オフィスを訪ねて遅れること2時間、車で出発!今日は4か所回るからと言われ、わくわく。村に着くとおぉ、人が集まってる!さっそくまだ植えられている大豆の様子をチェック、そして集められた収穫済みの大豆を量っていった。
量って、記録して、領収書をあげる。
一人ひとり、何㎏・大豆の品種・名前・連絡先・ID・口座を言い、領収書を渡され、後日払われる。
2時間くらいして次のグループに会いに行った。それにしても遠い。会いに行くにも道なき道を車で無理やり行く感じで、車はキズがつきまくり。道が半端なく悪く、しかも走行スピードが早いので何度もポーンポーンと飛び跳ねながら進む。そして酔う。最後のグループはタンザニアの国境近くに住んでいて(ミゴリ自体がタンザニアまで20㎞位のところにある)、そこを出発したのが6時過ぎ。帰りはさらにスピードを上げるので吐く寸前まできて、ドライバーのジョークにも無反応のまま車に揺られること2時間。何とか持ちこたえ、家に着いたのが8時になっていた。大家さんも心配して何度も電話をくれ、帰ったら晩御飯(トマトパスタ+ヤギ肉)をくれた。せっかくのおいしい料理も気分が悪く味がよくわからず・・・

何をしたわけでもなく頭痛と吐き気に耐える一日でした。でも息子のリーダーシップを始め、Kから学ぶことは本当にたくさんあるなと感じた。しかもいい人だし。来週からも週に数回通ってKが年間を通してどんなことをやっているのか、会社からも個人からも大豆の育て方・農家とのやりとりを勉強させてもらい、いろいろ盗ませてもらいたい。そして私個人でも小規模農家さんたちに還元できる方法を考えよう。住民の健康UPをねらって大豆の栄養・調理法講座もいいなぁ。まぁのんびりかまえてやっていきます。

2011年9月11日日曜日

Migoriのおもしろさ

私はMigoriにきてほぼ毎日が楽しいと感じられる。
でもケニアにきたばかりのころ、正直ホームシックになってました。日本シックともいえる。
日本って本当に物質的に豊かで平和だなと思った。たとえば「よし、今日は贅沢して寿司たべにいこう」「週末はどこどこへ電車でぱーって行こう」って色々できる。いつ物とられるかもしれないという心配や、夜暗くなるまでには家に入っとかないと、といったこともない。食べ物や飲み物も安心して飲める。建物がきれい。服装もみんなきれい。水、電気、病院・・・あるから心配せずに生きていられる。そんな日本に私は慣れすぎていたなぁとこっちにきて気づいた。

ナイロビでの1カ月と数日、同じ仲間と過ごす毎日、楽しかったけどもうナイロビはいいかなと思っていた。ナイロビは本当に都会でなんでも揃うしむしろ日本とあんま変わらんのんじゃないかと思うところがあった。田舎育ちなので都会は疲れる…
Migoriにきて一人になって仲間がいなくてさみしいと思うこともあったけど、慣れてきて友達もできてきて、いつからかさみしさは消えてた。近くに行くだけでも必ず話しかけられ、さみしいとか考える暇がないのかもしれない。今一番の友達はエチオピア人のブセ。いつも行く道とは反対に行ってみようと思って歩いていると声をかけられた。ブセはソーダのみを売る店をしている、性格も見た目もかっこいい女性だ。今は週に1,2回通っている。ルオ語を教えてもらったり、しゃべったり、ぼーっとしたり、すごいリラックスできるから不思議。


エチオピア出身のブセ。Friendではありませんsisterです。
本気にするケニア人にウケた。顔の作り全然違うでしょ!
 
ブセの店。いつも常連さんに会える。
外を歩いているだけでたくさんの出会いや出来事がおこる。
野菜売りのおばさんがまけてくれたとき、前は「Chinese」とすれ違いざまバイクタクシーのおじさんたちに呼ばれてたけど、努力の甲斐あってか、たまに「Japanese」と呼んでくれるようになったとき、「君はきれいだ」「いや、お兄さんこそハンサムだわ~」「結婚してくれ」「いえ結構です」といったお兄さんたちとのほぼ毎回同じなたわいもない会話、おばちゃんたちの素敵な笑顔とでかい笑い声・・・小さな事かも知れないけど、人とのあたたかい関わり合いがたまらなく好き。
嫌な面もたまにあるけど、まだきたばかりで見えてないのだと思う。活動が進むにつれたくさん見えてくることでしょう。でも嫌なとこより、いいとこ探しをしていきたい。

もうすぐ深夜の1時なのに、どこかで歌と太鼓の音が聞こえる。21時くらいからずっと。演奏の合間に誰かが大きな声で何かを伝えてるっぽい。集会なのかお祭りなのかわからないけど、行きたい気持ちを抑えて明日音が聞こえたところに行ってみたいと思う。そんな私の心までも躍らせてくれるMigori・・・まだまだ掘り出せば出てきそう。わくわく。

ブセの店から帰る途中。なんか落ち着く

2011年9月10日土曜日

すごい女性との出会い

以前、配属先にDC(district commissioner)というかなり偉い人が大豆の土地を買いたいと来て同行しました。
その時に「Migoriに大豆を使った料理を作っている女性グループがいるぞ」と教えていただいてぜひ会いたい!と思ってた。
でもどこにいるのか何ていうグループなのかわからず、どうしたものかと思ってたら、今住まわせていただいてる大家さん?奥さんが知ってるということで連絡取ることができました!(この奥さん、今では良い友達で、人脈もあるし協力的で本当にこの家にこれてよかったと思っています)

そのグループは私がすむ場所から40分弱歩いたとこにあります。



UPESHI WOMEN GROUPの店 
  
UPESHI WOMEN GROUPというグループ。
15人のメンバー全員が未亡人、交代でこのレストランを経営しています。メニューは大豆を使ったもの(soya milk, soya flour, soya cake, soya meat, soya nut, soya chapati, soya mandazi....)あとはキャッサバを使ったメニュー、サツマイモジュースなんかもあります。豆乳は近くの診療所にも配っているそう。彼らは孤児、片親のいない子供たち合わせて63人の面倒をみんなで見ています。子供たちの学校もあるんです。(2~10歳、年齢に分かれて3教室ある)


学校と生徒
 

そんなグループのchair ladyであるAliceはとても陽気で気さく、バイタリティーあふれる女性。jiko(かまど)をご存知でしょうか?ケニアではかまどを使って料理する人がたくさんいますが、従来のやり方である、3つ石を置いて真ん中に薪をしいて料理する方法だと煙はたくさんでるわ保温効果はないわ薪の消費量も大きいわで使い勝手がよくない。そこでAliceが普及しているかまどかがこれ。保温効果もあり、薪は2本でOK。農業省から声がかかって色んな所でデモンストレーションしたり普及活動をしているそう。でもいつか改良かまどをぜひ紹介できたらと思う。


Alice作・かまど


色々と素晴らしい活動をされているグループだけど、一つ大きな問題が。豆乳などを作っていた機械が壊れてしまっているのです。原因は停電後にコンセントをつけっぱなしにしていて再度ついたときにおこる高圧の電力によってショートしてしまったこと。なので今は収益が機械がある前と後とで大きく下がってしまっているのです。機械はksh14000と出せない額ではないのですが、私が出しても意味がないと思い、方法を考え中です。JICAのプロジェクトを利用するか(最低3カ月かかる&メンテナンスがいるものは難しい)、寄付金を募るか、どうしたものか・・・

でもそんな問題をかかえてても明るいのがケニアの人たちのいいところ。ダンスと歌が大好きな彼らが大好き。これから一緒に活動を広げていきたい。



歓迎の歌。グループ作の大豆の歌もある(笑)
 



2011年9月8日木曜日

はじめてのフィールド

そんなこんなでpole pole(のんびり)した活動を送っていた私ですが
ずーっと畑⇔オフィスだったわけではありません。
歩いて行ける場所ならばと大豆普及活動をしました。

大豆についていろいろしゃべり同僚に通訳してもらいながら。
いきなりの機会だったので準備不足でした。そして緊張しました(笑)
前日にいきなり「農家グループのチーフとのアポイント入ってるからいってらっしゃい」
とぽーんと投げられ、当日「え?目的は?」という状態で、上司とも話し合えず、挨拶という名目でいざ。
私がケニアにきた目的、大豆について、質疑応答をしました。
私の配属先が以前にもここを訪れていて大豆の種をタダで配り、収穫できたらその種の分を返却するというシステムで約束してたらしい。そこまでは私も知っていました。ただ彼らの関心はお金。けっこう援助慣れしている人たちで、「種くれたところでどうなの。マーケットはあるの?何をしてくれるの?〇〇はこうこうしてくれた・・・」
配属先に対して不信感いっぱいの様子。
やはり政府機関だけあって色々とあるわけです。本部からのしがらみが・・・
だからこのプロジェクト一本でいってるわけではないので、農家たちにつきっきりになれない。
だから自由の利く私ができることってこういうところにあるんじゃないかなと思った。
村落密着型で、農家と配属先とのパイプ役になれるし柔軟に考えて行動できる立場ですもん。
たくさんの質疑応答があり、最後には一緒にがんばっていこうと説得し、納得してもらえたよう。
「you are saver」
その言葉にすごい責任感を感じ、同時によっしゃがんばろ!という想いになった。

しかし帰って今日のことを報告すると帰ってきた言葉。
「マーケットというか、私たちは収穫し終わった大豆を全部買うって伝えてるよ。ただ彼らが覚えてないだけで」
・・・マーケットあるみたい。
そのプロジェクトが途中で中止になったらまったく意味のないやり方だなっていうのは置いといて、
こんな身内で間違いなく情報共有できてないことで彼らにうそをついてしまったようで申し訳ない。
今回たくさん教訓を残してくれ、すべきことがたくさん見えた。

・報告書フォーマット作成(情報共有・訪問準備のため)
・マニュアル作成(農家が適切な方法をしらない。種の保存方法が間違っていたため不作になった。殺虫剤のお金なしで病害虫対策)
・マーケット調査

など。やはりフィールドに出ることは大切だなと実感した。



2011年9月6日火曜日

農家はもう卒業したい

私の配属先はMigori townから7、8㎞のLichotaってところにあります。
そこまでは毎日matatu stageまで25分歩き、そこでmatatuに乗ります。
matatuといっても乗り合いタクシーです。見た目はふつうだよ。
ただ乗る人数が、前席:4人、後ろ座席:4人、たまに荷物入れのとこに1人。
その人数になるまで出発してくれません。
なのでラッキーだったら20分くらいで出発、アンラッキーだったら1時間まち。
マイナーな路線だからなんでしょうね・・・
最初は遅刻する~って焦ってたりしてたけど、今は本読んだり、
暇を持て余しているケニア人の話や運賃の駆け引きに付き合ったりして時間をつぶします。

だいたい8時半~9時の間につき、そこから農家に変身!
配属先はすんごい面積の土地を持っていて、そこで野菜、ネリカ米、酪農をしています。
農家さんたちが働きに来ていて、午前中は彼らの手伝いをしています。
大豆の豆たたき、畑を耕したり、野菜の葉っぱの剪定?、種まきなど。
農家育ちの私にとって慣れたもの。
午後はご飯を食べさせてもらいにご近所さんちに行ったり、子供と遊んだり、オフィスで自習したり。
基本スタッフ含めみなさん忙しく農業されてます。
オフィスといっても机とイスが2組あるだけで書類といったものはゼロ!
午後はみんなどこか畑か家かどっかに行ってて(広すぎていつどこへ行くのか不明)、私一人でオフィスにいます。
天井が穴あいててコウモリがすんでてそのフンの臭さの中一人・・・
勉強できてうれしい・・・けどやっぱりフィールドに出たい!
忙しい上司をつかまえて、ほぼ毎日気持ちを伝えるんですが「外は歩いたら危険だ。
バイクは禁止されているから自動車しかない。そのうち買うといってるからそれまで待って」という。
一番の問題はやはり乗り物なのです。

タウンに私の配属先と提携している大豆農業組合のようなオフィスがあり、
大豆を農家に広めていくという私がここで求められている要請内容とがっちり同じ活動をしています。
以前そこのchair manともお会いし、農家とのミーティングを始め色んな活動に関わってほしいと言われていて、
ぜひまた行きたいと思っていた。ただ、何度か上司に行きたいんですと言っても「今度それ含め活動について話し合おう」といわれたが話し合えず。できる同僚から「プロジェクトはどうなってるの?」と聞かれ、やばい!ここで農家やっててる場合じゃないと思いもう一度話し合おうと決心。

「こうこうで~その組合に週3くらい通って色々勉強させてほしい!」
しかし上司「いや、待ってみよう」
「えええええ・・・・」
いつも待ち姿勢の上司。何を待つのか。いつも色々はぐらかしてくる。

他の協力隊の先輩方からはとりあえず最初は何でもやることだよ。掃除とか書類整理とか。人間関係を知ることから始めてたよ。というアドバイスを頂いてた。のんびり構えてたほうがいいのかな・・・・そのうち誰かが車をくれて~ってそんなことあるかぁぁぁ~ちょっと考えればちょっと勇気を出せばできることはたくさんある。行動あるのみです。

2011年9月4日日曜日

ケニアにきてからこれまで

2か月ちょいを振り返ってみたいと思う。
ケニアにきたのが2010年6月28日。ナショナルパークが空港近くにあって、車からシマウマが見えて感動したなぁ~ケニアに来たーって感じた。ナイロビ市内はこれまた想像よりはるかに都会で驚いた。
「車めっちゃ走ってる!建物けっこう高い!みんな肌黒い!」

JICA事務所からみたナイロビ市内


でもちょっといくとスラムがあったり、貧富の差がすごい激しい。
でもスラムに住んでる子供ほど元気いっぱいで笑顔がすごいかわいいんだけどね。
授業の一環でスラムに行ったんだけど、ほんと「わ~」ってみんな寄ってくる。
人見知りなんてまったくありません。

スラムの子供たち

1カ月と10日くらいナイロビでスワヒリ語の勉強をしてたんだけど、
そこの学校のごはんがまーおいしいこと!
毎朝:チャイ、手作りパン、フルーツ
昼食:餃子、パスタ、グラタン、チャーハン、・・・ラーメンもでたり。週一でケニア料理。
夕食:日本食がっつり。金曜日はカレー
スワヒリ語勉強中は頭痛かったけど(笑)
昼前になるとキッチンからのにおいをかいで「今日はチャーハンだな」とかやってたなぁ。
ほんと毎日健康的な生活をさせてもらってました。

食事に大満足!

今いるミゴリにきたのは8月12日。本赴任。
以前3泊4日で赴任前訪問できたんだけど、ミゴリは大きくもなくそこまで小さくもなくという町。
とりあえず人、バイク、バス、マタツ(小型バス)でごっちゃーってしてる。
気を付けて歩かないとバイクにひかれてしまうよ・・・。ケニアは交通マナーが悪いです。
今住んでるのは前市長さんの敷地内にあるお手伝いさんの家を借りて住んでる。
配属先の用意してくれる家がまだ改装が終わってないということで、2か月の契約だけして。
イスラム教の人たちなんだけどとてもいい人たちで、いつも晩御飯をごちそうになったり、料理教えてもらったり
一緒にテレビ見たり、子供もかわいくて一緒に遊んだり、だからだいぶ助けられてます。

癒し☆

そんなこんなで私は元気でやってます。

2011年9月1日木曜日

ブログ開始!

ケニアに来て2か月と2日が過ぎました。そして今頃やっとブログを始めました。
これからうちが見て感じたケニアを、みなさんにお伝えできれば!と思います。
よ~し、今日はさっそく眠いのでもう寝ます!