2012年10月17日水曜日

アグリカルチャーショー2012


先週はミゴリで木~土曜までアグリカルチャーショーがありました。
キスムのとは違い半日ですべてのスタンドを回れるくらいの規模です。
去年は配属先とやりましたが、今年はUPESIグループと。
配属先にも一応挨拶にいき、再会を喜んでくれる人もいれば、いつものようにやる気のない感じで挨拶する人もいて。
前マネージャーが異動になり新しい人がきてるのは知ってましたが、ここで初挨拶(笑)
やっぱりこの配属先は変わってないなぁ・・・
大豆の活動なんて相変わらず全く進んでないし、私に対しては「早くマーケットを見つけてくれ」の一点。
協力してやってこうとかなくて、何か本当無理。私欲の塊・・・すいません、ほんと嫌い。

そんなこんなで毎日雨降りましたが、アグリカルチャーショーは終わりました。
毎夜たくさんの人がショーグラウンドのディスコに集い長い夜は続きます。そしてグループの人たちは毎日泊まりで夜も働きます。すごいなぁ・・・

ブースの他に農作物や編み物、などなど提出し、農業省がその中から分野ごとに1~3位選ぶコンペもやっていて
グループは28品を出展。(大豆商品からアクセサリー、Fireless cookerなど)
3つは2位、それ以外は1位という好成績!
賞金も1位のものには70シル(70円くらい)2位には50シルもらえるみたいなのですが
まだもらえてません。
去年も4000シルもらうはずが1000シルしかもらえなかったそう。
さすが汚職の国ですね。


2012年9月16日日曜日

またまたおひさしぶりです

ブログを書くのは何か月ぶりでしょうか。
私はやはり継続というものが苦手です。。。

前回何を書いたかも忘れました。今回は今活動について思う事を書いてみたいと思います。

ケニアに来たのが2011年6月28日、任地のミゴリに配属されたのが8月10日。ケニアにきてもう1年2ヶ月ちょっと。残り10カ月弱。・・・・なんだかんだ早いですね(汗)

大統領選挙が3月初めにあり、JICAボランティアはその2週間前からナイロビホテルへの避難が始まり、情勢によって1週間、2週間~1ヶ月のホテル缶詰め状態に入ります。なので3月はないものと考えた方がいい。しかも前回のようなシビアな情勢になった場合、日本に一時帰国または帰国の可能性もあるのです。なので残り期間、活動を一度しめるかんじで仕事の引き継ぎやら家の片づけをしていかなければいけません。避難の時はスーツケース1個と手荷物1個だけなので大変です。。。どれをもっていこう。以上プチ情報でした。

今年6月末に中間報告会があり、これまでの活動を発表しました。私は5月から配属先に行ってません。といっても配属先本部との関係は続けたいと考えているのですが。本配属先である支店には行ってません。仕事ないから。なのでUPESIグループ一本です。グループ自体も収入が今では4倍に上がり、お店や家の家賃など払いものが翌月まで待って状態からその月内に支払えるようになりいくらか貯金もできる状態にまでなりました。大豆活動に関しても配属先で働いていたら無理だったであろう、多くの人に大豆を知ってもらえ大豆農家を増やすことに貢献できました。・・・はい、そんだけです。1年以上いてこんなんです。まだまだできただろうって自分でも思います。自分にもっと経験や知識があれば・・・めんどくさがりな性格でなければ・・・この1年と2カ月でこれでもかというほど自分と向き合え、自分がどういう人間なのかがわかりました。

1年立った時点で急に帰国した後のことを考えることが多くなりました。これは他の同期もそうなんですが。考えれば考えるほど不安になります。結婚しちゃって専業主婦になっちゃえば簡単なんですが、生活大変じゃし働かんといけんじゃろー!それに飽き性だから家にずっとおるのも飽きるわー!ってことで仕事がしたい。さて・・・何をしよう?来る前は食品会社で営業と管理をやっていました。帰国しても食品関係の会社で働きたい。営業事務の仕事があればやりたいなぁ~こう考えるだけでも何か楽しくなってきた☆し・か・し、現実はそう甘くないでしょう。周りの帰国した先輩隊員たちは早いとこ仕事見つける人もいれば、1年前に帰国したのにまだ無職の人も。私はどの枠に入るのか・・・早く仕事みつけて結婚して子供産んでってしたい。私は協力隊のくせに安定した生活がいいです(笑)まぁ、それも飽きちゃうから海外にいきたくなるんだけれど。

だらだらと書いてしまいましたが、活動の話に戻します。活動の現状はといいますと、ボランティアのくせに一つのグループだけの支援になってるんじゃないか日々これでいいのかと考えながらやっています。最近はピースコー(アメリカ版JICA)のボランティアとキスムにあるNGOと一緒に大豆を輸出しようという計画を立てています。これは本当に壮大な1年弱でできるん?っていう計画なんですが、すごくやる気なボランティアで、一緒にやれるとこまでやってみるかー!と思いやっています。まずは輸出先を探すところからなんですが、色々と頑張っています。難しいでしょうけど、やらないよりはやってみようということで。。。もし大豆を必要としている会社、団体、NGOなどコネクションがある方ご連絡お待ちしています!






2012年7月23日月曜日

キスムショー

配属先のブース前にて。
いっぱい作りました



月曜から土曜までキスムという大きな町でAgriculture showにUPESIグループと参加してきました。Agriculture showはミゴリでも毎年12月にあって去年参加したんですが、キスムは驚くほど規模がでかかった!配属先も出店してたんですがかなりのお金を使ってるんだなっていうのがわかりました。小さな噴水まであるし、池もあるし、畑もあるし・・・私たち(私とグループリーダー)は作物のValue additionブースの一つとして大豆製品の紹介をするために呼ばれました。他にバナナの皮製品、はちみつ、ピーナッツもありましたよ。配属先以外にも砂糖や小麦粉、牛乳の会社、銀行、サッカースタジアム、簡易遊園地、ディスコ、・・・時間なくてあまり回れず詳しくは知りません・・・とにかくいっぱい。まぁ~朝から晩まで働きました。売上もすごかったです。大きな段ボールいっぱいに詰め込んで持って行った商品完売しました!キスムに来る2日間これまた早朝から晩遅くまで作ってパッキングして全部売れるのか?って思ってたんですけど、みんな興味をもってくれて驚いてくれて行って良かった☆死ぬほど疲れましたけど・・・


なぜ今回ずっと行ってなかった配属先からこんなオファーがあったかというと、きっかけは配属先本部に出したレポートでした。任地の配属先支店では仕事がなく、でも家をずっと改装してくれててもうすぐ終わりそうなんですけど、女性グループがいるタウンからかなり遠いしはっきり言って住みたくない。調整員が配属先本部に話にいくのでレポート(今こんなことしてるからタウンに住んだほうがいいんだと説得するため)を書いたんです。そしたら配属先本部のトップがすごく活動を気に入ってくれまして。ぜひキスムショーにきてほしい、オーブンとかもなんでも買ってやるよー、ついでに新聞に記事を載せたいということになりました。新聞も最初地元の新聞かなと思っていたらSTANDARDという全国紙!どんだけ金もってるん!キスムショーの間に載せたいという事で新聞記者もミゴリまできてくれ取材。配属先特集みたいな感じで新聞に載ってました。これがまぁおおげさに書かれてて女性グループのことも書かれてないし。JICAはJicaになってるし、私はボランティアじゃなく『大使随行員』になってるし。でも次の日も新聞にのっていてこっちの分はちゃんとミゴリで撮ったグループとの写真がのっていて1ページまるまる大豆特集みたいな感じで活動のことを詳しく書かれてあるようでした。しかし時間がなくてどちらの新聞も買えませんでした・・・

 

配属先に対してはまだ不信感は残りますが(配属先支店でのこともあるし、新聞でうそ書くし、今回手当は出たけどホテルの手配とかなくケニア人職員の家に居候。楽しかったけれど、最初は相手仕方なく泊めてあげるみたいな感じでしたもん)今回ショーと新聞を通してたくさんの人に大豆とUPESIグループを知ってもらえたことはすごくありがたい。このショーのことについてレポートを書いて配属先本部に提出する予定。成果を見てもらえればまた何かに大きく進展するかも・・・そんな期待を胸にまだまだがんばってみよう。

2012年6月3日日曜日

新商品はパン

今までケーキやクッキーは作ってきたけど、パンは作ろうと思いながら作ってなかった。

もともとお菓子作りが得意でない私にとってめんどくさいというイメージがあったから。

でも今週つくってみました。新しいことがしたくて。

バターロール、シナモンロール(豆乳入り)、豆乳パン、スコーン(豆乳入り)、メロンパン。

日本にある白いパン、あのやわらかいやつはケニア人に不評で、

白いパン=焼けてないっていうイメージらしく「えっ」ってなる。

そして基本堅く歯ごたえがあるほうが好きみたい。

バターロールは歯ごたえがあって好評。

スコーンは甘くてみんな大好き。

でも砂糖が高いため利益なし。

そこでメロンパンを作ってみた。ケニア人大好きなフードカラーを使って。

そしたら即完売。

昨日もメロンパン15個、バターロール30個、黄な粉クッキー25個作ってクッキー以外は一晩で完売。

パン作りもどんどんうまくなり、作れば売れる。

少しの粉でもイースト菌で大きさ4倍にはなるし。

油使わないから原価低くていけるし、健康的。

ケニア人はなんでも油にあげる(魚、マンダジ、チャパティーなど)。

前にフレンチトーストを振舞ったらオリジナルなフレンチトーストならぬトースティ・ヤ・マヤイ(卵トースト)を作ってたな。

トーストを小麦粉とフードカラーと水をとかしたものにつけ油で揚げるという。。。なんでも油で揚げりゃいいってもんじゃない!と思ったけど。

大豆&健康をプロモーションしている私にとってもマンダジよりパンを食べてほしい。

パンを食べたからって健康にはなりませんが・・・油で揚げてないから。

あと、ケーキやマンダジ売るより利益大きいしなぁ!

1個原価4.2シルくらいで売価10シル。

前にミゴリから1時間の町から来てたお客さんがたまたま食べておいしかったからってまた来てくれたし。

田舎にはおいしいものが少ないから、誰でもおいしいもの食べたいんだなって思って嬉しかった。

パンはお店で買う食パン以外ミゴリでは売ってないし。

ケニア人は味に保守的で新しいものはなかなか受け入れてもらえない。

でも一度受け入れてもらえたらずっとあきずに食べてる。

そんな食べ物の一つになればな・・・なんて。

この前グループがWomen Enterprise Fundの審査に通って47,000シル借りられることになったんだけど、

私がこの間配属先でプレゼンした内容を尊重してくれ

「店資金」「学校資金」「改良かまど資金」「メンバーの商売資金」にあてられることに。

お金があれば今までできなかった活動ができるので楽しみ。

メンバーもパンを食べたお客さんたちの反応をみて、利益がほとんどないマンダジをやめてパンを本格的に始めたいってやる気満々。もちろん従来の大豆商品もつねにストックがあるようにしたいねって話もあった。

色んなパンを作って(もちろん豆乳や大豆粉を使ったものも)、クッキー、ケーキも作ってちょっとしたベーカリーにしたいなぁ。キオスク、ホテル、病院、学校にそれらや豆乳を卸したり・・・軌道にやっと乗ってきた感じなのでまだまだこれからですが。店が繁盛したら学校に行くお金がなくぶらぶらしてる子らを学校に通わせたい。あのアティエンみたいに(前にブログでかいた、保護した女の子)。学校行けば教育と食事にありつけますし。グループが同じ考えっていうのが大きい。

2012年5月25日金曜日

自分がいかに無力かということ

あと1ヶ月でケニアに来て1年になります。
長くも短くもなく、1年だなって感想です。充実してたと思います。まだあと1ヶ月ありますが。

配属先でまったく仕事がなかったのには正直びっくりしました。
配属先とうまくいってる同期の話を聞いたり、ブログを読むと、うらやましかったり、もしかして自分の力不足なのだろうかとへこんだり悩んだり。でも先輩隊員から言われたのは「人と比べたらダメ」。本当そうです。それに要請内容、配属地域、働く民族・全然働かない民族・・・・・スタートラインはそっからもう違う。
ちなみにミゴリの大半を占めるルオ族はまー働かない(笑)でも愛すべき民族。陽気、気さく。朝仕事に向かってると知らないバイクのお兄ちゃんから「I love you---!!」とか言われたり。いやー笑った。そんなことが多くて意外に落ち込んでるとき彼らの言葉は励みになる。

私の場合、今は配属先ではなく女性グループと行動していますが、それはそれで楽しくてやりがいあっていいんですけど、時々ちゃんと住民のことを考えている配属先である程度資金のあるところならなーと無理なことを考える。例えば子供たちを支援しているNGOだったり。そしたらもっと何かしてあげれたのに。今は配属先にもある意味属してない、ただ一人のボランティアで、よく無力さを感じる。協力隊ってお金がない中自分でなんとかするものだけど、やっぱお金があれば何でもできる。どうしようもない人がどうしようもないことをするのに使うのはNOだけど、UPESIグループは違う、与えるにふさわしい人だと長いこと一緒にいてわかった。グループリーダーのAliceは本当に素晴らしい人。今日改めて思った。

一昨日こんなことがありました。
2日続けて知らないぼろの服着た子供(3歳の女の子と5歳の男の子)が店の前にずーっとたってたんです。グループのメンバーが彼らの家を知ってるということでAliceが様子を見に行ってくれ、私は学校が終わって合流。聞くと家には1歳半の子供が放置され外で泣いている、母親はレストランで仕事、夜は色んな男と遊んでいる、父親は強盗で今刑務所に入っている。。。家にも行ってみましたが、土でできた家はマットレスもなく地面にシーツが引かれた場所以外物もなく、しかも部屋の中は魚のようなくさい、衛生的に最悪な状況。この周辺には行ったことなかったから初めて知った。この地域が盗みが多くミゴリで一番危険という理由がわかったような気がした。地域の問題を担当するチーフに相談すると母親と子供たちは呼び出され、事情聴取と説教3時間。こんな状況でも「結婚しないか?」とかアホ言ってくるチーフ・・・「子供日本に連れて帰ったら?」と言われ、返答に困る。近所のおばちゃんたちも子供の世話をみないこの母親をバチーンバチーンとおもいっきりたたきまくってた。近くに子供いるのに・・・子供は無反応だったけど(お母さんをいじめないで~っていう反応を創造してたけど)。その後Ministry of children&Educationのオフィスに行き、2時間ほど待ち、そしてこの母親の処分について協議。お店に帰ったのは17時すぎ。めっちゃ疲れたなぁ・・・結局毎週オフィスに行ってレポートするということに。

次の日3歳の女の子はまたお店にきてた。でも服装が前と違ってきれいになってたから、お母さんもやればできるじゃん!一緒に皿洗いしたりチップス食べて笑顔もみせてくれるようになった。最初の頃は警戒してて全然笑わんかったけど。私が帰った後、Aliceから聞いた話で、夜になってその子が店の中の奥の方に隠れるのでどうしたのかと見ると母親が探しに来てたらしい。でAliceはそのまま自分のことに預かるって決めたそう。そんなの普通できないですよ。ましてお金持ちでもないのに。その子のほかにも2人(姉妹)自分の子でもないのに育ててますし。

私は「この子らの世話をしてくれ」ってチーフに言われた時も言葉に困ったし、子供がかわいそうって思ったけどどうしたらいいかわからんかった。責任逃れをしてた・・・情けなかったなぁ。

長くなりましたが、こんなAliceのような人に対して何かしてあげたいと思うたび自分の無力さに気づくのでした。
今回のことでこういう子供がたくさんいることに改めて気づいたし、学校に通わせてあげたい。2年間が終わるまであきらめないでトライする!方法はどこかにあるはずと信じて・・・

2012年5月22日火曜日

今日は記念日

ブログ書く気があるときにまとめて書きます。

今日のこの日は私の中で記念日になったと言ってもいいかもしれない。
ずっとあやふやだった(というか逃げていたのか)配属先との関係がきれいになった日。

 5月から今日まで行ってなかった配属先。
2週間あけてたのもあったけど、帰ってからもUPESIグループのところで毎日忙しくやっていたから。
今日はJICA、私、配属先マネージャー、UPESIグループとで話し合いをしたのです。内容は私の今後の活動について。
私自身、配属先はリチョタなのにUPESIばっか行っててどこかで申し訳ないという気持ちをもちながらやっていて、でも座っとくだけのために行くなんて考えられんかったし。配属先にこういうことやっていますって定期的に連絡するとかすればいいものの、話すのも生理的にも嫌になっていて無視し続けていた、なんとも大人とはいえないボランティアらしくない態度をとり続けていたのです。このままでいいや、自分のやりたいことやろって思っていたのですが今回こういう場を持つことになったのです。

先週金曜に決まり土日にプレゼンの用意、そして今日『今後の活動計画について』発表。
マネージャーも意外といい反応で、納得してくれた。

マネージャー自身もリチョタに私の仕事はないとわかってて、私のUPESIグループとやっていることを意味のあることだと認めてくれている。なぜなら大豆を農家に配るはいいけどマーケットがなかった&大豆の利用方法を知らなかったため、ミゴリで唯一大豆を扱っているUPESIの存在は大きい。その他にも私がやりたいと言ったことが配属先のやったことのないことなので新しい分野を広げていけるなら・・・要するに全体的にがんばれっていう感じでした。
毎月のレポート提出はすることになりましたが、何が変わったかというよりも気持ちの問題で、これですっきり頑張れる。住居の問題はまだマネージャーが本部と話し合う必要があるけれど、仕事のないそしてタウンから遠い(7km)リチョタで住むよりタウンで残りの任期すごせるといいなぁ。レポートで納得させるしかない。

先生になる

ちょっと最近の活動をお話しします。
最近忙しくて朝9時から家に帰ってくるのは19時過ぎ。一回体調崩したけど毎日が充実しています。

前回先輩隊員の任地であった相撲大会で子供たちと接する自信をもった私(笑)
UPESIグループがやっている学校で先生をすることになったのです。
子供たちはほとんどがOVC(Orphans and Vulnerable)。孤児または片親がいない、社会的弱い立場・傷付きやすい子供たち。学校には3歳から小学校2年生の子供が通っています。授業料1か月100シル。日本円で100円弱。それでも払えない、払わない家庭がほとんど。ミゴリで一番お金のない子たちが通う学校で、みんな制服もボロボロ・・・布キレみたいです。
今週で教え始めて3週間目。小学校1・2年を教えています。
まだちょっとしかたっていないけど先生ってすごくしんどいと実感しました。
先生をやっている協力隊のみんな尊敬します。
親の子供を預かるって・・・子供の将来がかかってるって・・・すごいプレッシャーだな~

私は人に教えた経験はありません。スワヒリ語もルオ語もいまだダメダメです。「ゆかりが先生!?アッアー!(うそだぁ)」ってよく言われます。他に雇われてる先生は一人います。ただ安月給のため長続きしない&教え方やる気ない人たちばかり。お金の問題はビジネスをよくさせることで解決できればと思う。先生の改革なんて思ってません。だって給料ほんま安いもん。
そんな中で子供に少しでもよりよい学びをという気持ちでやってます。ちょっとスパルタですけど・・・同じ小テストばっかやらせて体が覚えるまでさせるっていう。そしてがんばって満点とったらお菓子あげるーっつってお菓子でつるっていう。(でもこれがまた効果ばつぐん)ゲームとかもしますけどね。つらすぎて嫌いになっちゃこまるから。将来子供が生まれたら教育ママになりそうでこわい・・・・・・でも子供らも生易しい問題より難しい方がなにくそ根性出してくれるので(基本負けず嫌い)それがまたかわいい^^

12:30に学校が終わり、お店で学校の教材作ったり、お菓子・豆乳作ったり、商品開発なんたらしています。なので帰るの遅くなる。へたへたになって帰るけどでも楽しい。午前中は子供の笑顔、午後はお客さんの笑顔。雨季が終われば店の外に出て営業始めたいと思っています。やりたいことがたくさんでうれしい。

5月

ずっとブログがご無沙汰でした。。。

5月初めの約2週間、任地を離れ旅行などしてました。
まず、西を旅していた同期がミゴリにやってきて私の配属先訪問、グループ訪問。
配属先をみて一言「ゆかり、つらいね・・・」この言葉の意味はご想像にお任せします(笑)
西のはずれまでわざわざ来てくれて嬉しかった。でもすっごい2人ともへとへとでしたが^^;

次に私も加わり一番近くの同期の家へ。近いと言っても3時間弱のところ。
家に暖炉のある家で薪買って暖炉にあたりながら、シチュー食べました。
その鶏肉は大家さんのプレゼントで、ついさっきまで生きてたのをみんなで絞めた。
男2人いるというのに腰が引けちゃって、結局経験のある私がやることになったんですが、
殺生はやはりいい気持ちがしません。でもおいしかったな~(笑)
あとは朝4時くらいまで桃鉄(電車のゲーム)をパソコンでやりました。
ひさしぶりずぎて楽しすぎた☆

2泊3日後、次に同期で計画をしていたナクル湖国立公園。ここでも2泊3日。
パーク内にあるゲストハウスなので一回入れば出れないため食料大量に買い込んで☆
ナクルはフラミンゴで有名なんですが近年は数がぐんと減り、見れたのは20羽くらい。
あとはペリカンが湖を占拠してました。すごい数!!
フラミンゴ・・・遠目からだったけど本当きれいなピンク色で、感動でした。
しかし他にもライオン(オス・メス)、サイ(たくさん)、キリン、シマウマ、バッファロー・・・
あと、バブーン(大きなサル)にお弁当を持ってかれるというハプニングも。(ほんと目の前まできて殺されるかと思った)

一番のイベントはTシャツを誕生日だった同期2人にどっきりプレゼントすること。
実はこのTシャツ私がデザインしました。けっこう仕上がりかわいくてよかった~と自己満足!
2人もすごく喜んでくれて頑張った甲斐がありました。

キャンプが終わりナイロビに行って、次長の家におじゃまして日本酒、すき焼き、ラーメンを食べさせてもらったり、
ナミビア、エチオピアから同期隊員がきて一緒にご飯食べたり、
先輩隊員の任地・男子更生学校にいって相撲大会をやったり。←あんな大勢のケニア人男子を見たのは初めてで、すごいおもしろかった!中には松潤似の子もいて興奮(笑)「ムレンボ、ムレンボ(美人)」言われて大変だったなー(笑)ま、言わせたんですけどね!

以上駆け足でしたが、2週間のんびりできて気持ちもリフレッシュできましたー。
もうしばらくは休みはいらないな。
写真はネットワーク悪いため今度ナイロビ上がった時にUPします。

2012年4月15日日曜日

商品開発のあれこれ

機械がきてからもうお菓子作りに夢中です。週末でも行ってます。最近平日と週末の感覚がない。。。

まず豆乳作り

ひさしぶりの豆乳だーやはりおいしい・・・豆乳作れるようになったよとママが町の人に言うとみんな大喜び。
待ちに待ったという感じです。ただお店に電気がないので息子のお店で作ったので不便。衛生的にもなぁ・・・一回に300mlくらいしか作れないし。電気ほしい・・・

作っていると子供たちがやってくる。興味津々。

大豆カップケーキ。今まで鍋でやっていたものを小さく作れるように。
利益もとれるし、お客さんもケーキ目当てにやってきます。基本お金がない客が多いのでチャイとケーキ。
作って次の日には完売する。
クッキー。これは私が作ってます。ケーキが一つ10シルなら(約10円)クッキーは一つシル。客は子供たちが多いです。でも味は「こんなおいしいの今まで食べたことがない!」と言われるほどで、自分でもこれはおいしい。
子供たちが他の店でこのクッキーを探してたという話を聞いて、ふふ・・・嬉しいじゃないか☆
お菓子なんて作ったことがなかった自分がなぁ・・・作ったら売れるから楽しい。
ただこのクッキーも冷蔵庫が必要。冷蔵庫はグループは持ってるけど電気が問題。


電気:
やっぱり電気がないと難しいですね・・・最近メンバーも物入りで、電気いつになるかわからないのでここは自腹で協力しました。4000円弱です。これでいろんなことが可能になります。今までランプだったのに電気の光のすごさといったら・・・感動ものでした。

みんな大喜び☆

まだまだケーキ作り:
この間イースターで4連休だったので、先輩隊員のいるメルーというところにいってきました。目的はケーキ作りを教わるため。ナイロビまで8時間のバス、ドミトリーで一泊、ナイロビからマタツで2時間半のエンブという同期がいる場所に行き家を見学、エンブから3時間かけメルーへ。ミゴリ・ナイロビ間に比べ移動距離が少ないはずなのにどっと疲れた!!!標高が高くアップダウンが激しいから?と思いながら。
先輩とは一回少し話したくらいだったけど、メルーマーベラスケーキと名づけたケーキを毎日作り、売り歩き、収益一ヶ月に1万以上というすごい人なのです。見た目はごっついけど繊細なケーキを作るんです(笑)配属先は孤児院経営しているNGOで、一度関係が悪くなり配属先を変更しているそうです。色々と共通点があり、話してすごい励みになりました。ケーキのレシピは日本でフランスのお菓子学校に通っていたエチオピア隊員から教えてもらったという、味もチーズケーキのような味ですごいおいしい。なんせナイロビを除いてケニアには残念なケーキしかありません。そのレシピを教えてもらえたのは最高によかった。
ミゴリに帰ってさっそく作ってみました。

先輩宅にてケーキ作り。楽しい。


炭オーブンということで温度調整が難しい、メレンゲ作りに失敗、焼き上がりが平らでなく不細工と散々でしたが、味はなかなか。やはり材料ですね。次の日も作ったら焦げた以外はうまくいきました。これは何度も練習するしかない。これじゃあ人に教えるのも販売も無理。25シルで売りたいところ10シルに断念しました。しかしおいしいケーキを作ってたくさんの人に食べてもらえるようがんばるぞ。6月にナイロビでお菓子コンテストがあるらしい。出たい。

2012年3月21日水曜日

現地業務費

3月に入ってプロポーサルを書きました。きっかけはボランティア調整員が近くに来るついでにミゴリにも来てくださる機会がありまして、書類を渡すだけはもったいないのでUPESIグループも見てもらおうと段取りしたわけです。会ってもらってとても気に入ってもらい、現地業務費(業務に必要な費用を配属先が出せない場合負担してもらえる)を申請しようという流れになったわけです。


年度末で日にち本当ギリギリの中、カツカツだ~と言いながら申請書を何度も書きなおし、ナイロビにしかない商品の見積をナイロビにいる同期に頼み、ミゴリでも見積を2か所とり、配属先にレターを書いてもらい…何とか調整員の協力もあり通りました。買った商品はというと…


●オーブン 使用目的:大豆・豆乳・おからを使ったカップケーキ、クッキー、ソイジョイなどを作る。 効果:これまでケーキを鍋で作っていたので販売価格が高い、販売先がない、作れる商品が少なかった⇒解消

 ●大豆用の機械 使用目的:豆乳、豆乳ヨーグルト、おから。作るときに出てくるおからは豆乳と別々になって出来上がる。 効果:UPESIグループはこれを農業省からもらって豆乳に使ってたんですが去年6月頃に壊れて以来、作れず。そして売り上げも半減。なので収入アップが期待できる。


2番目の機械に至っては私がこのグループに出会ったときから「この機械があればね~」「この機械が欲しいんだよ~」って言われてたものだったので遅くはなりましたがやっとお母さんたちに渡すことができます。ちょっと感無量…小さいですけど活動が一つ形になったということで嬉しい。嬉しいついでに量りとなんていうんでしょう、ビニールを熱でくっつけれる機械も買いました。今まで商品をポリ袋に入れて火でくっつけてたのですがこれは楽!みんな喜ぶだろうな~

これからははりきって商品開発と大豆の普及に精進していきますよ~


あと機械以外にも9割は自費ですがお店の改装(屋根から壁、床まで)もしています。家賃が高くて引っ越して見るも無残な店だったんですが、立地はタウンに近いから売り上げもよくなったし、周辺住民にとってアクセスしやすいためか店の前に井戸かポンプがministryによってタダで作ってもらえることになり水にも困らないし。スーパーなんかに売るにはある認証とバーコードを取得しないといけないんですが、お金もだけど条件が厳しいんですよ。水へのアクセス、店の清潔さ。。。次の目標はこれらの取得!



心境の変化なのか、前はやらなきゃやらなきゃ!って感じだったのが総会の後ぐらいから「なるようになるさ~はへ~」ってな具合にいい感じに脱力系?で、そして食という楽しみを見つけ(前みたいなパンのバカ食いではなく)、楽しく気楽にやっています。
・・・いや、自分仕事もっとがんばれよ! -_-;

いろいろ・・・

ブログまた久しぶりの更新となります。催促を何度かされました。私も書きたいと思うんですよ~でもネット環境があまりに悪くてメールを読むのさえおっくうなのです。メール返信するのに一苦労。ブログで写真を貼れたら奇跡。そんな感じなのです。

前回のブログはミゴリの犯罪について書きました。その前にも色々あったのでそれも書きます。まず2月、この月はボランティア総会という半年ごとにボランティア全員集まって2日にかけ話し合いをするんです。ドミトリーの使用とか活動を円滑にするための意見をボランティアが発案して賛成反対と意見交換したり、グループでディスカッションしたり。今回は司会を頼まれやりました。90人近くを前に緊張するかと思ったら…しないんですね~司会みたいなの好きです。大阪研修ぶりの猪木もやりました(笑)
 

旅行もしました。カカメガフォレストといって西にあるアフリカ唯一の熱帯雨林。行ったことないけど屋久島みたいだと思います。もののけ姫の世界。10人近くで先輩もはじめてあった人もいました。大勢は楽しい。ベッド争奪戦でやったトランプ、即席演劇。早起きしてみた朝日は感動しました。霧がかかった森の上から朝日が昇ってくる…青春でした。口から出てくる言葉もくさいものばかりで。そういうくさいの好きだな~


3月はプロポーサルを書いたのと、つい先日クワヘリパーティーに行ってきたこと。プロポーサルについては次のブログに書くとして。クワヘリとはスワヒリ語でお別れという意味でボランティアは3カ月ごとに新しい隊次が入ってくるかわり、やはり3カ月ごとに先輩隊次は帰国していっちゃうんですよね。今回は20人近くも帰国してしまいました。だいぶさみしくなります…とってもノリが良くて濃い人たちだったので、ケニアボランティアも雰囲気変わるだろうなぁ。私もあと3ヶ月すれば1年。…早かった!もっと頑張ろうと思ったのでした。

2012年3月6日火曜日

ミゴリ事件簿

昨日までプロポーサルの件でばたばた・・・でもやっと終わりました。
すっきりして職場に行ったはいいけど、同僚に朝からブルーな気分にさせられました。


昨日の朝、配属先近くの学校(以前ぷら~っと行っていきなり授業させられたとこ)の4歳の女の子が授業費を家に取りに行くよう言われ家から学校へ向かっている途中、林の中に連れ込まれ首を絞められそして両腕両足を切断され犯人は荷物をうばって逃走。
これを聞いて鳥肌が立ったわけです。
たった4歳の子供なのに。しかもバラバラに・・・
なにより近所で、前に一人で歩き回ってたところなので恐ろしい。
同僚からも「ここらへんは一人で動き回ったらいけないよ、
とくにあなたの白い肌をみてカバンの中には大金が入ってると思うんだから。」と言われてたけど最初の頃は仕事がないから一人村落だ~ってやってましたけど、今思うと何もなくてよかった。
もう一人では歩かないようにしよう。


あと、ちょうど警官がオフィスに来ててミゴリの事件について話を聞きました。
感想は「ミゴリってそんな危ないとこだったの?」
今まで聞いたことあるのはデモをしてて警官に撃たれたとか、銀行の前で泥棒が半殺しにされたとかだったけど。

先月の18日間の間にこの警官一人がミゴリ内でひきとった死体の数・・・なんと24体!その中にはパンガ(普段は草を刈ったりするための大きなナイフ)で頭を何回も刺して目が取れてたとか頭の肉がはぎ取られてたとか体をバラバラにしてあったとか、まぁなんとも残酷な殺し方が多い。グループのお母さんからもよく聞くけど、最近バラバラ殺人事件ばかりです。犯人の心境が理解できません。よくそんな残酷なことができるなと。浮気が理由でバラバラにしたとか。

グループのママたちは「さっき話したあの人は泥棒だから。」とか「あの人は銃をもっててよくゆかりの家はどこなんだときいてくるのよ。絶対声をかけられても話してはダメよ。」とアドバイスをくれます。そういう人がいるのはとても大事で、信用できるのは男よりママたち。家に行っていい?と言ってくる男は本当かんべんしてくださいと心から思う。いいわけないだろー!

2012年2月9日木曜日

徒然につづってみた

最近ストレスたまってると言いましたがそれが仕事の忙しさでくるものでなくたるみからくるもの。暑さのせいにしては罰が当たります。日本で仕事してた時、充実してるときは不思議と疲れは残ってもストレスは感じなかった。すっきりしてたもんです。なんせ私は飽き性めんどくさがり屋。配属先がどうとか他人のせいにしてまずが、がんばれば自分で道は切り開けると思います。本当はちょっとだるいな、明日にしようという気持ちがどこかにあるんです。赴任時に比べたるみきっています。おしりのように。


私は自他共にみとめる「熱しやすく冷めやすい」人間で、一度はまると寝るのももったいないくらいがーーっと集中してやっちゃうんですが、冷めると「飽きたー」ってなるんです。彼氏に言われました。「前のブログではこれやりたいあれやりたいって書いてたのに最近は・・・昔の読み返してみれば?」その通り。前の私はやる気にあふれてました!(笑)そのほうが魅力的ですよね。このままでは彼氏にもあきれられる・・・こんな心までたるんだ私なんて。


今日の私はテンション違うんですが、なぜかというとさっきワードを開いて日記を書いてみたんです。今の心境ってタイトルで。今の自分の問題、原因、解決、パターン、じゃあ今やりたいことはないのか?ってなって、これこれで、それにはこれが必要でみたいなのをしてました。ただの日記のつもりが意外な方向に進み、悩んでたのにがんばるかーってなりました。
以下は今後の活動の抱負です。


配属先がお金がなくて大豆普及といっても配る大豆さえない→お金できるまで待つしかない。もしくはJICAに申請。それも時間かかるし、おりるかもわからない。
  • なら自腹で大豆買って配ればいい。そして収穫したら返してもらえばいい。結構無理やりな結論(・_・;)
配属先に行くことを考えるとだるくなる。どうせ行ってもやることないし嫌味言われるし。
  • UPESHIグループ、大豆NGO、フィールドに出てエイズ患者を巡回(免疫力を保つのに大豆はいいし、巡回している知り合い女性がいるので参加可能)、他のグループをみてまわる。
  • 大豆以外に廃油石けんづくり、モリンガの紹介・モリンガパウダーづくりや苗を配って育てる、かまどの紹介などのワークショップを勝手にして回る。
  • 大豆料理指導
  • 栄養指導(どこかの省庁でやっていないか調べる、栄養士の隊員に普及方法を聞く)
明日何をしよう、いい加減な自分
  • 一週間ごとの計画をかく(月曜配属先、火曜大豆NGOでこれをやる・・・)
  • ノートをこまめにまとめる(今までメモした大事な情報もどのノートにとったかわからない)
  • これまで訪問した農家の記録を農家ごとにまとめる。ルーズリーフ使用。(情報をたしていける&農家が増えるのを見ながらやる気アップ)
やるときめてること
  • 大豆料理方法を絵でわかりやすくまとめる(字より絵で!今後ワークショップのとき配るため)
  • 大豆の栄養を絵でわかりやすくまとめる(タンパク質はどんくらいの魚の量と匹敵するとか絵で。小学生も興味がもてるくらい)
  • 企画書の作成


ノートまとめるとか当たり前なことですけど、日本ではできてたことですけど、こっちに来てからなぜかしてなかった。本当にめんどくさがりだったんです。とりあえずノートを買います。そしてここで書いたからには有言実行・・・の努力をします。
今回言いたかったのはワード使えますよってことです!(笑)だらーっと書いてみるのも自分の気持ちと向き合うのにいいなって思いました。紙に書くよりいい。結局よくわからん内容でした・・・しかしいつも字数多すぎだな^^;

2012年2月8日水曜日

うれしいこと

今日はちょっといいことがありました。


久しぶりに行った職場でお客さんが来ました。その人たちは刑務所のオフィサー。


大豆を次のシーズンから配属先の農地で土地をかりて始めるとのこと。刑務所≠農業、だったので「なぜ農業?」ときいてみた。刑務所に収容されている人たちは学校をドロップアウトしてきた人たちで刑務所を出た後職につけずまた犯罪を犯してしまう。なので手に技術をつけるため刑務所では家具を作るグループ、細かい籠などを作るグループ、農業のグループなどを作っている。囚人は全員で300人だが今後100人のグループを作り大豆をやっていこうという。たくさん野菜がある中で大豆を選んだのはなぜか気になり「なんで大豆なんですか?」ときいてみた。「野菜を育てたいと思っていたんだが大豆はとても栄養豊富だし、あとこの絵をみるまで知らなかったが大豆はいろんな商品になるのを知った。だから大豆にしようと思ったんだ。」


オフィスに貼ってあるだいぶ前に作った大豆製品の図。これが彼らの大豆にしようと思ったきっかけになったのかと思うとうれしかった。



そのうち刑務所にいって大豆の紹介をしに行く約束をしました。過去に罪を犯してしまった人たちが退所後も仕事がないからまた罪を犯してしまうようなことがないよう、大豆で将来は明るいと思いながら刑務所を後にしてほしい。大豆の可能性をまた感じた日でした。

NGOとの出会い。最近ストレスたまります。

ここ最近ストレスでイライラの毎日。周りに少なからず迷惑をかけている気がします。ハイ、最悪なパターンですね。暑さのせいが大きいです・・・一回暑さのせいで高熱出ましたから。


さて活動についてなんですが、先週UPESHIグループ(大豆製品を作っているグループ)にお客さんが来るとのことで呼ばれていきました。そのお客さんはアメリカからのNGOで、グループに対して資金面のサポートをしていて、今その対象のグループを探してケニアを回っているそうです。みんなで3日前から大豆料理のおもてなしを準備し、当日お出迎え。料理を食べてもらったり子供たちの踊りや歌を見てもらったり、とても喜んでもらえました。

彼らはこのグループが他のグループと違い「なにが必要なのかはっきりしている」こと「お金をくれと言ってこない」ことに驚き、援助をとても前向きに検討してくれるようです。そして私がいるということもプラスなようで、今まではお金を振り込んだ後、グループのメンバーがそれを持って逃げてしまうということがよくあったそうで、信用できる人が間にいることで安心できるようです。今後はグループとこのNGOとの橋渡しとして連絡しあうことになりました。自分発信では難しくてもこうやってグループに好意を持ってくれ、援助したいという気持ちは私も嬉しく、共感できることでした。私にとってこのグループ家族のような存在ですから!

NGOの人たちと女性グループと生徒たち

夜はごはんに誘われ、ミゴリにいるアメリカ人ボランティアも呼んで楽しく過ごしました。あいかわらずスピードの速い会話についていくのに必死でしたが(笑)話がめっちゃおもしろく、終始笑わせてもらいました。

活動はやりたいことが見えてきてミゴリの大豆NGOの人たちにレターを書いてもらい、そして企画書も自信がなかったので書き方も教えてあげるよって。(今自分で企画書の書き方の本をみて作っています。ただ凝り性のため時間かけすぎ)いつも周りの人に助けられてばかりで、今に始まったことではなく昔っから!自分ひとりでは何もできない私。ぱぱーって何でもできるスマートな人になりたい。。。


ストレスが溜まってきたここ最近。JICAの面接のときストレス解消法は?と聞かれ適当に答えましたが(笑)、今考えるととても大事なことだったんだ!と思います。まして周りに日本人がいない環境なのでよけいに。今はお笑いDVDを見るのが解消法なんですが涼しくなったらもっと外にでるようにしよう(^^:)

2012年2月5日日曜日

週末どうでしょう?

ここミゴリは2月になってさらに気温があがり、暑い毎日です。コーストを思い出します。
1月2月は乾期でたまに30℃こえてます。でも室内は涼しくちょうどいいんです。暑さのせいで頭痛がひどく、目がまわる。そういえば私暑いの苦手だったんだって思いだしました(笑)でも耐えるのは今の時期だけで日本の夏頃になれば涼しくなるし、たまに寒いくらい。ケニアに来る前はビビってましたけど日本より過ごしやすい気候だと思います。

しかし問題なのが砂ぼこり。道がコンクリートではなく土のため、雨が降らないこの時期は砂ぼこりがひどい!髪はぱさぱさ、のどは痛い・・・道端で商売してる人たちは大変みたいです。

すなぼこりの図
昨日の土曜日は部屋の模様替えをしました。家は2DKなんですが、もう一つの部屋が大家さんの物置になっていて、使われてないランニングマシーンが一台、そして最近でっかい棚をもってこられて、こりゃあ完全な物置だ・・・高い家賃に対してこれは損!黙ってられんと思い何カ月前に買ってずっと置いといてもらってたソファとテーブルを置こうと決心。なので模様替え。タクシーも最初外人価格ではっ?という額を言われたんですが、家具屋さんと仲良かったので3分の1に交渉してもらえ、なんとか運搬終了。ソファの大きさのわりに部屋が狭く不釣り合いですが、これでお客さんがきてもイスがないってことはありません(笑)このセットで9000シル。1万もいかないなんてすごい。

生地屋で自分で柄チョイス。おちついててお気に入り。
たいがいのやつは派手かセンスを疑う柄ばかりで・・・
これは昨日教えてもらったんですが、店で何かを購入したら即持ち帰りが当たり前。何日も置いておくと「盗まれた」って言い訳されて実はどっかへ売ってしまってた、なんてことが当たり前のようで。盗難なんて日常な国でそう言われたらあきらめるしかない。今回引っ越しが結局できずでしかたなく長期間置いてたんですが、無事手元に渡ってほっとしました。
ケニア人の人の好さを信用して忘れがちですがここはケニア。いつ何が起こるかわからない。言い訳なんて言ったって警察も信用できない国。自分の身は自分で守る!賢く生きなければ!

2012年1月28日土曜日

That's Africa !..?

今回は負のオーラ全開の回です。
悪口ってわけでもないんだけど(多少あるか)こういう面もあったなっていう後で回想するため。
マイナスのことって書かない方がいいんでしょうけどこれもケニアの一部ってことでご了承ください。


今のケニアの生活はどう?って聞かれれば「楽しい」って答えます。最初の頃は日本に戻りたい気持ちも少しあったんですが、正直こっちの生活は日本にいた時よりストレス少ないし(あれだけあったにきびも今じゃゼロ。)活動もなんでもやりたいと思ったことは行動に移せばできるし。行動力さえあれば実現できるって素晴らしいと思った。
今の配属先ははっきりいって言ってやることがなく、大豆のプロジェクトはあるんですが車やお金などの問題でストップしていて上司にも1月から始めると言われてそのままの状態。※「派遣されたけど仕事ない」のは多くのボランティアが抱える問題。要請時~派遣されるまでの期間が長くなってしまうのが原因の一つらしい。だからみんな自分にできることはないか探したり行動するんですよね。だから私も配属先の外でNGOや女性グループと活動をしてきました。

なので配属先にいかない日が1週間以上になってしまった先日、上司から電話。
「5日のうち3日はこっちに来る約束でしょ。もし外で何かあったらこっちの責任になるんだから。なるべくこっちに来て仕事してほしい。」これには出る言葉なし。イラっとしてしまいました。行っても仕事ないし、行って勉強してたら「勉強しかしないね」と嫌味を言われるし、「農家には会ってるの?」と言われたから会ってるのに、なんでそんなこと言われないといけないんですか?結局最後は何かあったら責任をとるのが嫌だから目の届くところにいてほしいって・・・どうすればいいの?
こんなんだから昨日久しぶりに行っても同僚と話してても何かかみ合わないし、ずっと石けんづくりのレシピとか書いてましたけど。ま、配属先での時間は外での活動用に何か作ったりする場にすればいいんですけどね。交通費高くつくけどしょうがない・・・か。私も大人になれ!賢く世渡りできる術を身につけないといけませんね。

さて、昨日はたいしたことしてないのに精神的に疲れて帰ってきて近所に買い物に行きました。
歩いてたら毎日挨拶してるおばあさんに「遠くにすむ兄弟がバイクで怪我して交通費がないから1000シルかして」って言われ。3カ月くらい前にも商売をうまくいかせるための資金で800シルかしたままで返ってきてなくて「前かしたお金かえしてもらってないからあなたのことを信用できないからかせない」って言ってもしつこくって今日も電話かかってきて何か取り立てみたいですね。うちは歩く財布かっ!目の前で困ってる人がいるから助けないといけないんだろうか・・・自分の立場ってどうなんだろうって考えてたらモワモワ、イライラしてきた。困ってるのはこの人だけじゃないし。私もう一人にも1000シルかしてるんですけど返ってこない・・・人に金かしても戻ってこない!金の貸し借りはするな!ってお決まりなんですけど、返ってくるのか試したい気持ちがどこかにあって。この人を信じてみようってかしてみた。そしたらやっぱり返ってこない(笑)そして一回かすとまた貸してって言われる。なので前のお金を返してくれなかったら次貸すことはしないって決めました。なので今回はおばあさんに貸さないことにします。
色が白い=お金があると勘違いされ、金くれ、物くれは日常茶飯事なので、元気なときはうまくかわせるけど元気ない時はどっと疲れてしまう・・・そんな時は無理なので外出ずひきこもろう(笑)

もー疲れた!っと家に帰ってイライラが収まらないままDVDでもみようとお笑いをみながら全然笑えない。今日はついてない日なんだと思ってたらドアをノックする音。週に一回は大家さんからの使い(門番かお手伝いさんか大家さんの子供)がやってくる。前は喜んで行って晩御飯もらってたんですが最近は子供の入院や新しいビジネス始めちゃって大家さんちの家計が厳しくなったようでそれはない。用件はだいたい家賃のこととか。家賃を半年分一回で払ってくれとかそんなん。今回も家賃がらみでしたけど。
あとは「最近活動どう?」って聞かれたんで「NGOや女性グループと活動したり農家に会ったりしてるよ」-「女性グループはUPESHIだけなんでしょ(笑)」-「(むっ)他にも3グループいるよ」-「2年間女性グループとばっかり働いておしまい?(笑)」
何そのバカにした言い方~~!!!そりゃあ大きなプロジェクトなんてしてないし、たいした活動をしてないかもしれない。けど私なりにがんばってる。それをバカにされるなんて腹が立って腹が立って・・・人って一緒にいる時間が長くなるほど慣れてきて本性が出てきますね。私自身もそうだけど。でも旦那が金持ちだからって家でいっつもソファーに座ってテレビ見てるだけの人には同じケニア人でも下の階級の人たちの暮らしなんて想像もできんだろうな。うちは女性グループとばっかりの活動もいいなと思う。そういうお母さんたちが一番ケニアを支えてるんだから。

正直今の家引っ越したいです。ただいつかは何か月後には配属先に引っ越すわけだから何回も引っ越してたらお金かかるし大変。でも風邪とかで家にこもってると「ゆかりは何してるんだ?仕事いかないのか?これだから日本人は・・・」という会話が外で始まるわけです。悪口言ってるときの門番の楽しそうなこと。(基本こっちの人も人の悪口大好物)ほっといてくれよって感じです。休みの日も干渉されたり。プライバシーないじゃない。寝坊した時も仕事遅めに始まる日もドアを開けると一瞬止まるあの感じ。そして「これから行くの?」・・・いけませんか。コンパウンドみたいなので家の外にずっと人がいるのでそういう時出ていくのに気が引ける。きっと悪口言われるんだろうなぁって。最近は開き直って「何か?」って顔して出て行きますけど。いちいち気にしてたらやってられない。図太くなったと思います。


いろいろ愚痴っちゃいました。
少しはすっきりするかと思ったんですがまったくでびっくり(笑)
みなさんの気持ちを害してしまったらごめんなさい。
明日は気を取り直して休日出勤に行ってきま~す。

2012年1月27日金曜日

大豆農家リーダーミーティング&石鹸作り

今日は10時から大豆NGOのオフィスで大豆農家のリーダーたちが集まってのミーティング。
そして15時から女性グループUPESHI(おなじみ大豆料理のお店してる人たち)とのミーティング&石けん講習会があった。

午前のミーティングは3カ月に1回あるみたいで、ミゴリ周辺の地域にいる大豆農家のリーダーが集まって意見交換会をしているようで、今回呼んでもらいました。
一つの地域で登録農家100人とかそんなに大豆農家がいることに驚き、このNGOの活動に感心し、同じプロジェクトやってるのに何も進歩ない配属先にあきれ(笑)リーダーのみなさん意見ばんばん言ってて熱心さに感心しました。最初のほうは英語で進めてくれ、農家たちが何に不満をもってるかなどが聴けて来てよかった。後半スワヒリになってついていけなかったけど。
私も呼ばれたからには黙ってやりすごすこともできず何度か意見を求められたり、リーダーたちから「金がほしいんだ!」というアピールに「はいそうですかと金をポンと出すことはできない~ミゴリには大豆でお店をやっているグループがいて、そのリーダーは0からスタートして今やお店をだし収入を得られるようになった~あなた達のようなやる気があればできないことはないですよ」ていう話をしました。まぁほとんどお金でないのかよって顔されましたけど。私以外に銀行から来てるゲストもいてローンの話をしてて、このNGOも私たちを呼んだのはリーダーたちにお金出るよと思わせ安心させたい目的だったんだなとすぐ思いましたけど。
お金ポーンではなく大豆を通じてこういう目標があってこうしたいからこれだけの金もしくは物がいるっていう発想のほうが何とかしてあげたいって思うんだけど。それがないからそう導くような発想をこっちが提案しなくてはいけないんだろうけどすぐには浮かばず・・・でも最後のほうは自分たちでがんばれるような話になってましたけど。15時前になっても終わりそうにないので一人抜けてもう一つのミーティングに行くことに。

大豆農家のリーダーたちとNGOのひとたち(右奥)

本当は14時からだったので遅れていくとみなさん待っていてくれました。なぜなら今日は石けんの作り方を教える日&メリーゴーラウンドをグループがやってるんですがうちもメンバーの一人で私がみんなからお金を寄付してもらう日だったのです。(もちろん受け取りませんでしたが・・・)
石けんは2種類;廃油せっけんとモリンガせっけん。(※モリンガという栄養たっぷりの木があって、その葉を乾燥しパウダーにしたもの。石けんにして何の効果があるかは・・・ないと思います。肌にいいのかな?ただ色付けのために)やり方は一つはボールで一つはPETボトルで作りました。グループの人以外にも近所のママさんや子供たちが集まりみんな興味津々。こういう何かを作る講習会ってやっぱ楽しいんだろな。
練習不足で内心できるのか心配してたけど無事に成功してよかった~・・・
作り方書いてきた模造紙を書き写したり真剣に読んでくれてる姿にやってよかったと思ったのでした☆
次はシャンプーの作り方が知りたいっていわれ・・・作れるんだろうか?調べてみよう。
あとは豆乳ローションもぜひケニア人の美肌作りに!やりたいなぁと思う。

せっけん作り中

2012年1月25日水曜日

日本人のご家族と

今日は元協力隊でミゴリ隊員だった方のご家族がケニアに来ていて、一緒に昼と夜とごはんを食べました。
なんとお二人とも元協力隊。(奥さんはケニア、旦那さんはエチオピア)
お子さんはうちの弟の小さいころに似ていて、親近感(笑)めっちゃ元気でかわいかった☆ケニアの子供たちも一緒に遊べて嬉しそうだったなぁ。でもかるたは卑怯だったぞ~!
あと、旦那さんどっかで見たことあるなーと思ってたら前の会社の上司に似てました(笑)なんという偶然!
今回なんと10年ぶりにミゴリをしかも家族と一緒に訪れたそうです。ステキです。

ケニアに住む人やボランティアを通してミゴリにいる私のことを知っていただいたようで、
事前に色んな人から連絡がありました。
あと、来る前にこのブログを読んでくださったようで・・・
彼氏と彼氏のお父さん以外に読んでくれてる人がいようとは(笑)
へたなこと書けませんね。
そしてもうちょっとがんばって更新するようにします。


ケニアから帰ってベトナムからこのブログを読んでいただいているでしょうか?
サファリどうでしたか?動物いっぱい見れましたか?
お会いできてすごい楽しかったです!
これからもご家族みなさんお元気で楽しくお過ごしください^^

2012年1月20日金曜日

活動

昨日一昨日と村に行き大豆活動をしてきました。最近は配属先に行かず女性グループやNGOと活動をしています。配属先に行ってもあいかわらずすることはなく、しゃべっているか勉強しているかなので。ただ、行って勉強していても「勉強しかしないね」と嫌味を言われるという・・・※要請はあっても仕事ないっていう配属先はザラです。色々理由はあるんですけどね。そしてまだ家ができません。半年たってもまだ仮住まい。さぁ一年以内に引っ越せるのか!?


さて今回の大豆活動、一つは女性グループのリーダーと、もう一つはNGOのリーダーに手伝ってもらいました。通訳してもらうという目的の他にどちらも大豆関係の人たちで、その人たちから説明があったほうが説得力があるから。(うちは外国人ということでインパクトはあるけれど何せ農業の専門家でもないのできっかけにしかすぎません。もっと成長せねば-_-;)女性グループのリーダーは今ではお母さん的存在で、前にもブログに書きましたが大豆料理の店をやっています。NGOは大豆の普及をやっていて農家に種や肥料を提供し、農家から大豆を買っています。今後の活動はこのNGOに農家へ種を提供してもらい、うちが村を巡回_、収穫後は種を農家から買い、残りの種で次のプランティングと大豆料理の指導。この女性グループをモデルにして大豆食品で収入UPを目指すという予定。


今回思ったのが大豆の栄養をだらだらしゃべってもよくないなぁということ。ただ今回大豆製品をもっていき食べてもらったけれどこれには反応がよかった。こんなのも作れるの!?という感じで。視覚的にせめるのが相手を飽きさせない。現にNGOの人は大豆のサンプルを持ってきていて反応良かったし。マーケットに大豆が売っているけど実際見たことある人は多くないよう。絵で栄養について説明したらわかりやすいし通訳もさほど必要ないかなぁと思ったので次回から・・・絵なら得意だし!なんでもおもしろいものが頭に残りますもんね~

2012年1月8日日曜日

コースト9泊10日の旅③Day7-10: ワタム編

7日目(1月4日):モンバサ→ワタムへバスで出発。ワタムではボランティア御用達のゲストハウスで2泊。共同のバス・トイレ・キッチン、冷蔵庫があり、自分たちで食材を買って調理することが可能。スーパーも近く魚も売ってるのでグループで来たら楽しそう。私たちの場合フルーツを食べる以外はキッチンも使わず、イタリアン料理三昧。ワタムはイタリア人が多くビーチにイタリア人、レストランもイタリアン、そしてジェラート。ケニア料理はケニア料理でお値段もお手頃。夜の屋台は焼き鳥みたいな串焼きの肉が売られていたりで小さな町のワタムは夜まで楽しめます。しかもビーチがすごくきれい!これまでで一番きれいだった。

8日目(1月5日):またまたシュノーケリング。3回目(笑)カラフルな魚がいっぱい見れました。この日日焼けをすごいして方がひどいことになったので最後でよかった。

ワタムの海

毎日イタリアン

マサイ族もいっぱい。写真とると絶対お金せびってくる・・・
道路沿いにはお土産屋がぎっしり。
9日目(1月6日):朝ワタムを出発してマタツでモンバサへ。頼んでた服(カンガなど生地をもっていってワンピースなどお手頃価格で作ってもらえます。500シルほど)をとりにいき、カーテン用に布を買い、キコイというかわいい布を買い、お昼にはインド料理屋でカレーを食べ、やっぱり日本のカレーが一番だと気づき、彼氏もケニアのサッカーチームのユニフォームとタスカビールTシャツを買い、マタツで空港へ。あっという間、時間がたつのは早い・・・コーストは去りがたかったけど、いざナイロビへ戻ります。ナイロビは涼しく、暑いコーストもいいけどこっちもいいなぁ。まずいホテルのご飯を食べ就寝。なんであんなにまずいのか・・・


Bishara street アゲイン。
全部回るのにも時間がかかります。いいものありすぎて・・・

10日目(1月7日):9泊10日の旅も最終日。毎週土曜日はタウンのKCC近くでマサイマーケットがあるので彼氏のおみあげを買いに行ってきた。いろいろと満足のいけるおみあげが買えようで私も満足。お昼は中華料理屋にいって麻婆豆腐、酢豚、チャーハンを食べ、この10日間普段は食べられないものばかり食べれて最高でした。彼氏も楽しんでくれたようでなにより。今度はサファリをしにきてね!




コースト9泊10日の旅②Day4-6:シモニ、ディアニビーチ、シンバ・ヒル編

4日目(1月1日):モンバサからフェリーに乗り、そこからマタツでシモニへ。夜はKWSのバンダ(1000シル)に泊まり、彼氏初めての電気のない生活体験。新鮮で楽しんでもらえたのでは?

フェリー。すごい人の数です

5日目(1月2日):ドルフィンウォッチングツアーに参加。KWSで申し込むと1600シル。ほとんどの白人の観光客たちはシモニに泊まらずモンバサとシモニの中間にあるディアニに泊まりツアーを申し込むらしく、もっとかかるようです。この値段でシュノーケル、昼ごはん(カニ、魚、ココナッツライス、フルーツ)付き!海もきれいで、イルカもたくさん見れました。ツアーは8:30~15:00まで。そのあとはサファリツアーの関係者にディアニまで乗せてもらうことに。サファリに行く予定はなかったけどせっかくケニアまで来てくれて動物見ないで帰るのもなぁ・・・値段もどのツアー会社より安かったし。宿も安いところを探してもらい、ホテルではなくテントでしたがディアニのビーチに近く地元の人たちとサッカーしたり泳いだり。夜は牛・ヤギのニャマチョマ(炭火焼肉)、そしてビール!テントもなかなか快適でした。
 
イルカが船のすぐ近くに!


シュノーケリング



ビーチでサッカー

6日目(1月3日):ツァボナショナルパークに行きたかったけどあいにく人数がいっぱいで今日しかなかったので結局近場のシンバ・ヒルに行くことに。(ツアー内容:シンバ・ヒル、パークの中にある滝、昼ごはん付。6:30~15:00)面積は狭いけど動物は同じようなのが見れると言われ・・・マイナーなところかぁ、大丈夫かなぁと心配してたら予感は的中。午前中はキリン、インパラ、バッファロー数頭しか見れず。しかも遠い。これならナイロビナショナルパークのほうが100倍ましだ・・・ツァボツアーと同じ料金でこれかぁ・・・午前のサファリが終わり歩いて滝を見るため片道2キロを炎天下の中丘を下ったり登ったり。でも達成感があって意外とよかった。お昼ごはんの前にドライバーさんが「他のグループが像を見たらしい」と言ってその人たちがみたスポットへ!見れることを祈りながら車を走らせ着いたもののいない・・・はぁーこのツアー最悪だったな、と思いばがら引き返しているとさっきいなかった場所に像の群れ・・・!すごい近くて大感動でした。像ってでかい。お昼はソーダがすごくおいしかった。午後はドライバーも疲れてたので14:00くらいで切り上げ、フェリー乗り場まで送ってもらった。モンバサまで戻りホテルを探してけっこうハードな一日でした~


滝。マイナスイオン!


ゾウ!近い!でかい!


  


コースト9泊10日の旅①Day1~3:モンバサ編

12月29日~1月7日までの10日間、彼氏がケニアにやってきて一緒にコーストに行ってきました~!

初のコースト。ケニアにこんなリゾートがあったなんて!めちゃくちゃ満喫してきました。
1日目(29日):ナイロビ泊
2日目(30日):飛行機でナイロビ→モンバサ1時間の飛行機。バスだと9時間はかかるのであっという間。モンバサ(OLD TOWN:フォートジーザスなどトゥクトゥクで1時間観光)→Biashara streetでカンガなどを見る。帰る間際のおみあげ物色。→同期の家に宿泊。  
 

フォートジーザス

トゥクトゥク
Biashara street カンガ(スワヒリ語でことわざが書いてある布)などたくさん
カンガ
HENNA 2週間くらいもつタトゥーのようなもの
3日目(31日):モンバサの海でシュノーケリング。二人とも初のシュノーケリング。彼氏はスイスイ、でも私は久しぶりの海でびびって楽しむどころじゃなかった・・・夜は奮発していいホテルに宿泊。3食付、その他飲み物食べ物いつでもタダ!ビリヤード、卓球・・・夢のよう。

モンバサのビーチ 透き通ってます!

初めてのウガリ・スクマ・サマキ(魚)
感想は?「うーん…想像通りかな」
ウガリ作りもおばちゃんにさせてもらいました。

ビーチがすぐ近くのホテル


NEW YEARのイベントも豪華でした☆



元気です

すごくひさしぶりの更新です。私は元気にやっています。

なんと8kg太りました。

原因はストレスと食生活にあり。毎日SUPAROAF(ケニアでメジャーなパン。)プラスマーガリン(お湯に入れても溶けないとウワサ(笑))、そしてウガリ(ケニアの主食)の食べ過ぎ!スパローフに関しては多い時で朝6枚とか食べてたので・・・生のパンにマーガリンはさんで。ウガリも好きで毎日のように・・・でもこれってお腹周りに来るらしく太るようです。よく言えばケニア生活にうまく浸かってるっていえるんですが太りすぎと周りに言われすぎ、(ケニア人にさえ大きくなったねって言われ・・・でも太ると喜ばれる)、食生活を改めることに。

とりあえずパンはやめました。代わりに野菜や果物をたくさん摂ることにしました。ウガリもケニア人の家に行くと避けては通れないので量を控えめに、自分で作って食べるのをやめました。運動も少しずつ・・・毎日歩いてはいるんだけどなぁ。
後で更新しますが、彼氏がケニアに来て10日間コーストに行ってきました。暑かった!!見た目も自分でも痩せたなと思って期待してたのにナイロビに帰って量ってみるとマイナス1kgのみ・・・はぁぁぁーーーーーー